「最高を生きる」解釈学
全てを最高最善とみなす。そう、全てをポジティブに捉えていく。人は最低最悪な自分と最高最善の自分、色んなバージョンの自分を並行現実に展開している。
最高最善と解釈するとは、最高最善のその人を引き寄せた、その並行現実にワープした、即ちその瞬間今ここで最高最善で、ベストタイミングで完全に調和したその人と並行現実を瞬時に創造したのです。
他人や自分や世界に「最高」とか「最低」「最悪」といった価値判断を下す自分自身と言う存在は、存在として最高なのかそれとも最悪なのか正体がそもそも不明なのです。
エイブラハム「最高を望み、最高と調和する行動をして、最高を所有し、最高を生きる。物質界の身体と最高を調和させ、明るくいい気分の時のみ行動すれば、最高と調和した道を進めるだろう。」
分かったようで解らんか。
いや兎に角、この世は最高最善なんですよ。そう見えて来て、そう思えて来るのが修行の道なのかも?自分の眼が曇っているから、最低最悪に視えてしまう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?