「お疲れ様」は、ネガティブ発言なのか?
子供が遊び疲れて帰ってきたら、つい「お疲れ様」と言ってしまいます。さんざん遊びを楽しんで来たのだから、そこは「お楽しみ様」でしょ?
「引き寄せられんなあ」と力尽くで引き寄せようとして「引き寄せ疲れ」している人に「お疲れ様です」と言わないで、力まない方が引き寄せは上手くいくよとアドバイスしましょう。
人間に「睡眠と休息」が不可欠なのは、物質的身体には「疲労物質」が溜まってしまう機能上の宿命で、100%シンクロニシティに成った暁には睡眠も不要になるでしょう。
逆に言うと、現状の人間は、人生をエンジョイしても「疲労物質」が発生します。まして「他人軸人生」だとヘトヘトになってしまいます。
エイブラハムは「努力」は要らないと言ってます。でも自助努力とか奮闘努力は要るんじゃないの?確かに「無駄な努力」はしなくていいよね。
長い間人間界では「努力は必ず報われる」と言われていて、それが常識として人間社会に定着しています。努力をしない人は「怠け者」のレッテルを貼られてしまいます。
「人間の自我」って外界に向かって必死にボートを漕ぎたがります。それが「疲労の根本原因」です。先ずは正反対の方向に向かう必要があるのです。つまりベクトルの矢印が間違っていました。外界とか現実と言う幻想に向かって必死でボートを漕いでいた。エゴの自分ってそっちに答えがあると思い込んでいます。それで必死で漕いでヘトヘトになって疲れ果てウツになったりします。
答えは外側には無くて、自身の内にあるのです。と言うか「安心と安らぎの場所」は其処しかないんです。渦の中心が自分の中心で、そこが安心と安堵と安楽の場所なのです。
宇宙を望遠鏡で眺めると一見止まってじっとしているように見えます。でも「光速で」動いているんです。
宇宙はエネルギーですから大きくうねっています。「万物は流転する」とか「諸行は無常である」と聞いた事が有りますね。それで意味なく暴れ回っているのでは無くて、神の配剤として完全に調和しながらシンクロしています。だから「宇宙に任せて」放っておいたら万事が上手く行くのです。
その際人間は余計な事をしなくて良い。無駄に努力してたら却って遠回りになります。
人生が疲れるのは楽しく無いからです。生活のために我慢して働くから余計疲れます。「仕事が趣味」「仕事が娯楽」、そんな人はごく稀でしょう。
万人が皆んなが皆んな「お疲れ様」と言うのを止めて、「お楽しみ様でした」と言ってしまう社会はいつ来るのでしょうか?
「眠らない街」「疲れを知らない子供たち」、その一方で寝たきり老人、引き篭もりのゲーマーたち、お昼寝オーケーの会社、仕事はAIにお任せしましょう。
「疲れたら寝る」、これは当面人間社会の真実かもしれません。24時間365日ワクワクで眠る時間が勿体ない、それはもう人間じゃない生き物かも。
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