バシャールとエイブラハム、「光の方へ」
第一章 「何が羅針盤たりうるのか」
例えば、船が難破して貴方は海で漂流しているが、海図も無いし方位磁石も無くて、貴方は途方に暮れる。そんな時、そうだあれは北極星だからこっちが北じゃなかろうかと目星をつけて筏を漕ぎ始める。
では広大無辺の大宇宙で貴方の宇宙船が漂流していたら、貴方はどっちの方角を目指せばいいのだろうか?
更に言えば、三次元の宇宙空間では無くて、意識の多次元的並行宇宙で迷子になり漂流していた場合、貴方はどっちの方向へと向かうだろうか?
先ず考えられるのは、光の方を目指したい意識体と闇の方闇の方を選んでしまう後ろめたい意識体とに分かれると言う事である。闇は身を隠すに最適である。だが、魂の本心は光に帰りたがる。
例えば死んであの世に行った際、其処が真っ暗だったら明かりの見える方に歩いた方がいいと思われる。
この光の方と言う選択が、心的状態としては、快か不快かで快を選ぶ感性な訳です。方向性として「快を羅針盤」にすればいいのです。
宇宙を多次元的に並行世界を含めて俯瞰的に概観するとどういう事になるだろうか?
第ニ章 「全知全能から無知無能へ」
結論から先に言うと、「全知全能だった自分と言う意識」が、半知半能を経て、無知無能へと辿り着くや否や、其処で光速クイックターンして、来た道を逆に辿り、無知蒙昧から全知へ、全否定から部分否定を経て、全肯定へと至る、この悠久なる旅路を意識もしくは霊魂は繰り返しているである。
現実世界と言う名のイリュージョンから退却し、真実の世界へと回帰するその壮大な宇宙的プロセスを何千兆個の意識体が箒星(ほうきぼし)のように楕円軌道を愉しむ。
人間とか此の世は自己の全否定に拠って出現する。そして常に変異し続ける部分否定は当人すらその変異スピードを把握し切れない。だから三次元から徐々に離陸し光速ワープに入るにはその無限個に変異した部分否定の全種類を追跡調査しなければならない。
自己卑下や自己否定、劣等感や罪意識、人間が地上に放ち続ける此れ等無数の錨は自己の離陸を何万年でも阻止できる。意識は元来想いと発言と行為から成る。そして地上は行動の星だから、想いだけでは創れない。半知半能から全知全能へと回帰する度合いに応じて「行動から単に想いへ」と自己は変容可能である。
第三章 「人間は迷える子羊」
人間は自分が何処から来たのか、死んだら何処へ行くのか全く知らない。つまり無知蒙昧存在なのである。
それで世界とか現実は千変万化する万華鏡だから、その忙しない世界情勢に振り廻され人類はその一生を無意味化させる。外界に振り廻され翻弄されるだけの虚しい人生です。
迷える子羊とは、言い換えれば被造物即ち自分の人生や現実を他人が勝手に創ってしまい、自分の人生を自身が創造しない生き方です。
これでは人は幸せに成れません。そこでどうしたらいいか、高次元存在に聞いてみる。答えは、被造物を卒業して創造主に成って下さいと言う事だった。
第四章 「有限から無限へ」
有限世界に身を置くから、奪い合いになる。被造物でいるから幸せに成れない。だから、創造主になれば、幸せになれる。
第五章 「創造の仕方」
創造とは、創造したい物に「単に意識を向ければ良い」。だから、戦争したければ、毎日戦争の映像を流せば良い。熱中症患者を増やしたければ、熱中症を話題にすれば良い。
人間人類とは、望まない現実を日々創造し続けるネガティブ存在、メディアがその代表です。彼らは何がネガティブか識らない。
宇宙は単に周波数なんです。あなたの不安が不安な現実を引き寄せ、貴方の金欠感が豊かな人生を拒んでしまう。ガンになりはしないかと言う恐れがあなたにガンを発症させる。
人は容易くネガティブに意識を向ける。これは大問題ですと問題を肥大化させ、問題解決から遠ざかる。
人間は迷える子羊、被造物、有限世界に住む有限存在、だから戦争して奪い合うしかない。
もはや人間に見切りをつけて、各自個人個人が創造主に成って、高次元に移行していくしか無さそうです。