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「意識の観る夢」
夢か現実か区別出来ない事がある。
あれは夢だったのか、現実だったのかと分からなくなる時がある。
結局、夢も現実もどちらも意識が観るイリュージョンに過ぎないのだから、同じと言えば同じです。
だけど、自分にとって苦痛や不快を伴う夢をネガティブと呼び、安楽や快感を与える夢をポジティブと呼び、汎ゆる事象はこの二つに大別出来るのです。
そしてネガティブ動画やネガティブ情報ばかりを作製してしまう人たちは、自分たちがネガティブ現実を引き寄せる磁石と化していることに気づけ無かったりします。
地震や津波や巨大隕石の落下、人類の大半を死滅させるウィルス、人類にそうした汎ゆるネガティブ現実は用意されていると同時に、その汎ゆるネガティブ現実を、人類や当人たちは乗り越えられると「信じ得るか否か」が問われているのです。
即ち、ネガティブ動画の量産は、当人の深層心理に潜む「恐れ」と向き合って無いから、止められないのです。
自分の内なる恐れがネガティブ探しを促すのです。
言い換えると、「彼らは、愛の不足と欠如の中に留まり続ける人たちなのです。」
本当に「貴方の中の恐れ、それを何とかしなさいよ」と言いたくなります。
何れにしろ、自分と言う意識は、自分の観たい夢を観る。
生き地獄と言う夢や極楽浄土と言う夢です。
だとしたら、わざわざ辛く苦しい夢、悪夢に魘(うな)されるより、うっとりするような夢見心地の、ほっこりするような夢のような現実を創造したいものです。
即ち、自分の観たい夢を観ろ。観たい夢しか観るな。自分の観たく無い夢は観なくていいのです。
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