無限を選ぶ人たち
第一章 「健康とは総合点」
健康習慣として例えば毎日生のアロエをひと口食べる。だがその一方で三日に一度深酒をする。
これを差し引きしてトータルした総合得点が健康長寿なのです。一つの健康習慣だけで全てのマイナスポイントが帳消しになる訳ではありません。
腸内環境に一つ良い事をして、三つ良くない事をしたらやはりトータルとしてはマイナスポイントな訳です。
人生百年時代だから、誰しも百年くらいは生きたい。だがそれはかなり漠然とし過ぎている。百歳を目標に掲げると大抵その一歩手前で力尽きてしまいます。
胃は丈夫なんだけど、腎臓が弱い。頭は切れるのだが、膵臓にストレスを与え過ぎている。人体の臓器一つ一つが唯一無二で不可欠の部品なので、一つの臓器が壊れると人体全体が壊れてしまいます。
第二章 「表の顔と裏の顔」
とても温厚で人当たりもいいし、慈善活動に熱心なのだが、実は残忍な殺し屋でもある。この場合、この人は一体善人なのか悪人なのか?
前世も今世も虫も殺さない善人なのだが、前々世は何百人も人を殺していた。そして今ここにいる自分は前々世のことなどすっかり忘れて善人ヅラして生きている。
元々一つであるこの宇宙を善と悪とに二分してしまう思考パターンを人類の意識パターンと呼ぶのです。つまり、自分を善人もしくは正義と見做し、悪人もしくは不正を「裁きたがる思考パターン」です。これを「不幸を選択したがる意識体」と呼びましょう。
幸せは、裁かない自分即ち「全てを赦す自分」、詰まりは「善悪の彼岸に立つ自分」、全てを肯定していく自分即ち他人や世の中や政府や悪人に「駄目出ししない自分」になるということです。これは人類には高すぎるハードルかもしれません。
第三章 「有限か無限か」
地球の資源や富は有限である。だから少ない資源や富を皆んなで奪い合い盗み合うしかない。これでは国同士、人間同士が戦うしか有りません。少ない富だから一部の少数者が独占する羽目になる。貧富の差を是認するには、教育や洗脳でマインドコントロールするしか有りません。
資本家対労働者、善人対悪人、金持ちと貧乏人、常に何時も「元来一つのものを二つに分断してしまう人類の思考パターン自体」が今限界に来ています。
第四章 「無限を選ぶ人たち」
元来、善しか存在しないのです。元来無限しか存在しないんです。もしも自分の寿命というのが有限であると仮定したならば、どういった世界になるのでしょうか?試しにやってみます。それが人類という意識体です。今生は前世のカルマに影響されねばならない。そう信じて疑わないならそうなります。
貧富の差はもう必要ない。差別化を図るのはもう飽きた。集合意識がそう判断したら、世の中は徐々にそうなって行きます。
ごく少数の成功者が讃えられ称賛される為に、圧倒的大多数の失敗者が必要不可欠です。そんな社会はもう要らないのかもしれません。
時間が足りない、お金が足りない、寿命が永く無い、そうした「足りない人生」にそろそろ飽きて来たんじゃ無いですか?
万人が平等だったら、貧富の差は存在し得無いので、成功者になる醍醐味はかなり色褪せます。万人が各自それぞれ成功してしまい失敗者の居ない社会、それは理想の社会なのか、それとも単なる退屈な天国なのでしょうか?
苦しみたい、悩みたい、難病を患いたい、数学史の難問を解いて天才と呼ばれたい、個々人の望みや課題は千差万別です。だから、全体として、集合意識として、天国の方に振れるのか、それとも地獄絵巻の方に傾くのか。人類は今岐路に立っています。