桜の木の下で
桜の木の下で、半ば葉桜になりかけた桜を眺めながら、和歌山県産うめチューハイを呑む。
来月には桜のトンネルが出来て、ここに観光客が写メを撮りにわんさか押し寄せる。
私は一月から四月までずっと桜を愛でている。お目出度い人生です。
桜を愛でながら、人生とは一体全体何なのかと考えてみた。
或る人にとって人生はまるで「罰ゲーム」にしか思われない。
一方で別の人にとっては「ご褒美人生」に感じられる。
その違いは一体何なのか?単に「成功法則」をマスターしなかっただけなのか?それとも「前世のカルマ」を引き摺っている為なのか?
何れにせよ幸不幸に個人差があるのは間違い無い。我が身の不幸や不運を嘆く暇があったら、因果応報について真剣に研究して見た方がいいだろう。人生の真実は其処にある。それは断言していい。
アンラッキーをラッキーに変えてしまう術、禍を転じて福と為す方法、これを生きてる内に見つけ出すのが「人生の醍醐味」と言えるだろう。
酔っぱらいの説法なんか聴きたくない。私は借金抱えて頭を抱えているんだと言う人に限って、「ピンチはチャンスだ」と言っても聞く耳を持たない。
聞く耳を持てない故に、彼にとってピンチはピンチで有り続け、チャンスへと転じ無いのである。
酔いが廻って眠くなって来たので、「酔説法」はお開きとしたい。
人生の悲惨や残酷の餌食にならないハイクオリティーな人生にしたければ、戦火に負けないと意気がるのを辞めて、私の戯言に耳を傾けなければならない。爆風で手足がバラバラに吹き飛んだとしても、それは貴方ではなく、あなたが此の世で憑依した借り物の身体に過ぎないと悟らねばならない。あなたは身体では無く、意識体なのです。解ったような分からない話です。