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10秒先を予知しながら生きる

例えば10秒後にエレベーターのドアが開く。乗っているのは、テロリストなのか、白髪の老婆なのか、予知してみる。ここで大事な事は、予知であって予想では駄目である。競馬の予想に、株価の予想、予想は当たりません。予想と予知を峻別した上で、予知の訓練をゲームとして楽しみながらやる。予想なんか当たっても意味が無い。まぐれ当たりだから、続かない。予知というのは、未来に起こることを予め知り、事実その通りになったと確認して終わる。当たったか、外れたかの丁半博打でなく、当たりしかない未来を知りつつ生きるライフスタイルである。人類の楽しみは、サプライズやドッキリで、未来に対する無知を前提に生きる。ドッキリさせられて嬉しいか?心臓発作で死んだら責任を取れんでしょ。未来は既知であるという時間概念の中で生きる生き方も有りだ。時間のベクトルは、別に未来方向を向かなくてもいいのだ。


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