本当の自分は、豊かな自分
苦労の末に、努力の果てに、自分の幸せと豊かさを手に入れる。
そう言う自分の現実をわざわざ好き好んで、選択したならば、そりゃあ苦労するし、努力も半端無い事になる。
全ての人間は、今自分が生きている現状をこれが現実だよと自ら引き寄せました。
詰まり、「吹き寄せられません」と言うのは嘘で、今引き寄せている現実が、自分が引き寄せた現実なのです。
それで、苦労無しに努力しないで、楽に幸せになりたいと、そうオーダーしたら、そう成って行くのです。
そして「貧しいと同時に豊かでありたい」と自己矛盾的にオーダーしない限り、人は「私は豊かさを選択します」と宣言しかつ、「豊かさを受け取る事を自分に許可します」と、許可したならば、何れ必ず豊かさが自分の現実世界に反映されざるを得ないのです。
自分が信念として、豊かさより貧しさや貧困の方を信じていると、貧困の方が映像化されてしまうのです。
詰まりその人は、「私は貧しい、貧しく生きるべし」と信念を持って信じているから、そう言う現実が映像として繰り返されるのです。
「収入が途絶えたらどうしよう、収入が減ったら困った事になる」、そう言った思いが、自分のスクリーンに映像化されるのです。
だから、「努力無しに、苦労しないで、私は豊かさと安楽さを手に入れたい」と正しくオーダーしたならば、それが間違い無く実現されると心底信じているならば、その人の人生は必ずそう成って行きます。
詰まり、まだ豊かさが実現してないとか途中経過はどうでもいいのです。「豊かさまだですか」といちいち問うのは、実現を疑っていて、信じていないので、豊かさは現実化されないのです。
「豊かさ」と言う「観念」を自分が「揺るぎ無い信念として採用したならば」、それは現実世界に必ず具現化されます。
自分に豊かさを許す、豊かな自分を否定しないし、拒否しない。
だったら必ずや豊かな人生に成って行くのです、間違い無く。
こうして「自分イコール豊かさ」、「自分イコール幸せ」、「自分イコール安楽」と望む自分に成って行けば良いのです。