もしも電車通勤が観光通勤だったら?
満員電車に40年も揺られたらいい加減飽きる。
それで反動としてガラガラ電車で通勤して見たくなる。
働くにしても週に二日か三日でいい、仕事帰りはちょい飲み通勤になりがちである。
窓の外の景色は海や木々の緑、青い空に白い雲、途中下車して海岸で日光浴したり、釣りしたりしても良い。
観光客の振りをして土産物屋をからかったりしながら与太話に花を咲かせる。
人生とは遊びであり、戯れに修行もしてみる。
不殺生と言う戒を守るのは、俗人にはハードルが高い。
牛も豚も鶏も胃袋に入る途中に味覚の満足感を謳歌させてくれる。
そして人は美味と引き換えに癌や糖尿病を受け取るのである。
美味と病はワンセットでプラマイゼロである。
高齢者にも関わらず、病気一つしないし、薬を一切必要としない、そういう人生が可能かどうか貴方もやってみたらいい。
人間の90%は必ず病気をする。
病気をしなかったら貴方はもはや人間ではないのかもしれない。
楽しい老後とは必ずしもゲートボールを愉しむ老後である必要はない。
スナックのママと世間話をした方が幸せという人もいる。
幸せの形は千差万別で星の数ほど有る。
この世が極楽浄土であると感じられる人は口癖として「極楽、極楽」とつい口走ってしまう。
一方で、飢えや飢餓や戦争の最中に生息する人々はこの世を生き地獄として実体験する。
同じ世界が或る人には地獄に感じられ、別の人には極楽として実体験される。
つまり極楽浄土は貴方の中にしか無い。
地獄を体験させられる人は決して自らを極楽浄土に持って行く事が出来無い。
単に主観の問題に過ぎないが貴方にはどうする事も出来無い。
自身の主観を意のままに操る術を会得してないからである。
人生は人々が退屈しないように複雑で難解に出来ている。
若い頃、この世は生き地獄かよと言っていた若者が、還暦を過ぎる頃にはやっぱり極楽浄土だったわと言えるようになれば良しとしたい。
千鳥足で電車を降りれば、空はあかね色に染まっている。