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人生とは何か? 「人生とはゲームもしくは修行である」

第一章 「人生とは何か?」

人生とはゲームである。何だゲームか、それだったら俺得意だから。いや、話を最後まで聞いて下さい。貴方が娯楽としてゲームを楽しむのでは無くて、貴方が一方的にやられまくるゲームなんですけど。

貴方が年頃になったら、戦場に行って手柄を立てて来いと言われて、戦場に着いたら、着いたその日に流れ弾に当たってもう棺桶に入っている。

或いはせっかくこの世に生まれて来たのに、親に折檻され虐待されて幼くして天に召される。

またある人は臓器提供キャラとして生涯を終える。

実人生とは、78億人いる人類の90%以上がそうした「生き地獄的人生」を生きさせられる恐ろしい人生ゲームを演じさせられるロールプレイイングゲームなのです。

また或る人は奴隷としてムチで打たれ、或る者は戦場で脳味噌を吹き飛ばされる。

ゾンビを撃ち殺しまくるゲームで、貴方はいつも撃ち殺されるゾンビの役しか演らせてもらえない理不尽なゲーム、それが貴方のリアルライフなのです。

ヤラレ役がいないと主役が引き立たない。人類の大多数はヤラレ役ばかり演らされるツマラナイ役回りである。

斬られ役や殺られ役じゃ無くて、イジメられキャラでも無く、自分の人生を自分の意のままに生きるには、被造物では無くて創造主としての人生を選択しないといけない。だが、現状78億人の意識レベルではそれは無理だから、何で俺だけが貧乏クジを引いちまうんだと愚痴りながらまた不幸と悲惨を友とするのである。

第ニ章 「人生とは修行である」

人生は苦である。人生って罰ゲームなんかなあ。人生には四苦と八苦が付き物です。だから人生とは修行なんです。
その修行を苦行として頑張ってもいいし、楽行として愉しくやってもいい。或るいは遊行と思って取り組んでもいいかもしれない。難行苦行も修行だし、鼻提灯で居眠りするのも実は立派な修行なのです。どうせなら、愉しく修行しましょう。

第三章 「人間とは?自分とは?」

人間とは考える葦(あし)である。我思う故に我あり。哲学者は色々考えて診ました。人間は行為者だったり、認識者だったりもします。だから、私は「見る者」であると言っても間違いではない。間違いでは無いが正しくもない。

一方、人間は感情の動物とか「欲望存在」と言われたりもします。

さあ貴方はどれが正解か解らなくなって来ました。

人間は労働者であり単に「奴隷」である。そう僅かな賃金を貰うだけの「賃金奴隷」なのです。或いは使い捨ての「企業戦士」、過労死予備軍です。

人間が「見る者や見られる者」で無く、「認識者」でも、「欲望存在」でも無いとしたら?さあ答えの分かる人はいますか?

自分の本質とは「意識」であり、その意識の本質とは一体何なのでしょうか?

有限者が「無限者へと飛躍する」にはどうすればいいのでしょうか?答えは一つしか有りません。自分と言う意識が「創造者」になるしか無いんです。

自分とは現実を創造して楽しみ喜ぶ生き物なのです。宇宙と言う巨大な生命エネルギーの本質が「創造性」なので、その似姿である人間人類もやはり、自分が「創造者」である時一番シックリ来る訳です。

まとめると、人間は認識者でも欲望存在でも感情に身を任せる動物でも無く、単なる存在者でも無くて、創造者たる自分を見い出した時に、本当の自分足り得る訳です。


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