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「引き寄せたい現実」と 「引き寄せた現実」

人類は長い間ネガティブ社会にどっぷり浸かって、転生を延々と繰り返して来ました。つまり、自分の信念体系の全体がネガティブなので、一つや二つ信念を書き換えたくらいでは、とても人生を激変させる事は出来ません。

大多数の人が引き寄せの法則を単に知識として知ったとしても、それを体得して自分の望む理想の人生へと持って行く事が出来なくて、自分の引き寄せ方のどこが間違っているのかを解明出来ないでいます。

例えば、お金を引き寄せたければ、お金を肯定しないといけません。でも前世や前々世のトラウマから、どうしてもお金を素直に肯定出来ない人がいます。だから誰かが前世は断捨離してしまいましょうといくら言っても、実際に断捨離出来ないので、其処から先に進めません。

だから高い月謝を払って引き寄せ法則の講座を受講しても、大多数の人は結局引き寄せをマスター出来ません。

それは何故でしょうか?それは、「既製品としての誰かが説いた引き寄せ法則」は「自分仕様の引き寄せ方法で無い」ゆえに講座を受けても充分に機能しないのです。

「自分仕様の引き寄せ法則」って詰まる所、自分が自身で独自に開発するしか無いのです。

例えば、お金について自分の信念体系を変更したいとします。それには自分の間違った信念を書き換えないといけません。でも大多数の人は、一旦自分が身に着けた信念を変更する事に強く抵抗してしまいます。

例えば自分はお金を引き寄せたいのに、潜在意識がお金を嫌っていたら、お金は引き寄せられません。自分の今現在の金回りが、実は今の自分にぴったりの金運状態なのです。

では実際、「引き寄せたい現実」と「引き寄せた現実」との間に「ズレ」がある時、どうすればいいのでしょうか?

「今自分の目の前にある現実」が、「あなたが実際に引き寄せた現実」です。詰まり、現実とは、自分が引き寄せた今の自分にぴったりの現実なのです。それであなたは、この自分が引き寄せた現実に対して、金回り的に不満だとします。そうであれば、自分の信念を書き換えるしか有りません。

人間は何故過去のトラウマに縛られ、其処から抜け出せないのでしょうか?敵と必死で戦っているうちに、敵も味方も皆死んで、愛する我が街は廃墟と化し、大地は海の藻屑と消えてしまいました。

そんな忌まわしい太古の自分は、自分に「パワーが有った」が故に、そのせいで街も都市国家も、ひいては星々も木っ端微塵にしてしまった、その後悔の念が自己否定感と罪悪感を産み、「自分のパワー」を永遠に封印してしまった訳です。

「怒りを爆発させた」と言う表現が有ります。実際、怒りや憎しみは破壊と滅亡しか齎(もたら)しません。堕落天使は何故堕落してしまったのでしょうか?怒りや憎しみや嫉妬は「劣悪な感情」なのだと言う「気づき」が無かったからです。

だから正解は、怒り、憎しみ、嫉妬、怖れと言った劣悪な感情の発露として「自分のパワー」を使うのでは無くて、愛や喜びや調和の為に自分のパワーを使えばいい訳です。其処に気づければ、自己否定感の無限ループから脱却出来ます。

人間は永らく「外界依存症」若しくは「物質依存症」を患っていました。物しか存在しないとか、精神なんて目に視えない物は存在しないと決めつけて、物やお金や土地に「価値」を与えて生きて来ました。でもこれでは、何時まで経っても幸せには成れません。

例えばこう言った考え方が有ります。お金は単なる「紙切れ」だけど、「金の延べ棒」には価値が有る。或いは「ダイヤモンドには価値がある。」本当にそうでしょうか?物は自分よりも価値を有しているのでしょうか?仮想通貨や暗号通貨は、株券よりも価値が有るのでしょうか?そんな馬鹿な事は有りません!金銀財宝もダイヤも金塊も、本当は全て無価値なのです。お札が単に紙切れであると同様に、ダイヤも金塊も「単なる物」でしか有りません。「単なる物」は「私と言う存在」に「愛されて初めて」価値足り得るのです。

実際、物は部屋に置いておくと、埃を被り、錆びつき、淀み腐って行きます。だから置いておくと運気が下がるから、断捨離しましょうと云われるのです。と言うか、置いておくと自分のパワーが、物に吸い取られて行くのです。こうしたエネルギーについての知識が此れからの科学になって行くのでしょう。

さて、自分が自己否定感を辞めた時、無力で無能な自分から卒業できます。自分とは、エゴの自分と本当の自分が「同行二人的」に共同作業して行くのがベストなのです。

「自分なんて」とか「自分には価値が無い」と常々思っている自分が居たとします。いわゆる無価値感とか自己否定感です。其処から出発して、「自分には価値が有る」、「自分は宇宙一価値が有る存在なんだ」と信じるに至る道筋を辿れば良い訳です。

つまり、「頭の自分」は「ハートの自分」に丸投げ的に全てを任せた方がいいのです。例えば顕在意識の自分は、潜在意識の自分に欲しい物をオーダーするとします。その際、自分の努力や苦労や頑張りを辞めて、豊かさが向こうから勝手にやって来るシステムにします。詰まり、こっちの奮闘努力で、僅かばかりの賃金を稼ぐと言うやり方では、豊かには成れないのです。それだと貧乏暇なしになって、疲労困憊(こんぱい)して、病気になってしまいます。楽に簡単に好きな事をしながら自然と豊かに成っていくイメージが正解なのです。

「引き寄せる」とは、自然と楽に、向こうから勝手に、磁石みたいにくっ付くと言うイメージなのです。「思考は現実化する」と言われてピンと来ない人もいます。でも「自分の抱く想念は全て現実化する」と云われたら納得出来るかもしれません。

「外界依存症人間」は、外界に一喜一憂し、外界に対し「つい反射的に反応」してしまいます。だから「もう腹立つなあ」とか「あー疲れた」と「外界に対し自分の感想」をつい口にしてしまいます。でもそれって十中八九ネガティブ発言なんです。だから人生が好転しないのです。「疲れた」と言ったら、疲れるような現実を引き寄せてしまうからです。

別の言い方をすると、外界に自分が反応するのでは無くて、「自分の想念」を「外界化」させないといけないのです。想念が先なのです。創造主が被造物に「堕した」のは、この自分と外界との関係が「反転」してしまった「倒錯人生」に成っているからです。

自分の想念に感情を載せたら「現実化」します。その際、怒りを現実化させたら「破壊や破滅」或いは「滅亡や消滅」を齎します。

だから、「愛や調和と言った感情」或いは「喜びやワクワクと言った感情」を、現実化させて行きましょうと言っている訳です。

手順をおさらいしましょう。先ず二つの対立する概念をセレクトします。「理想と現実」とか「望みと現実」です。どちらの対立概念がより上手く行くか判断します。理想を掲げる理想主義は、失敗し易いから使わない方がいいかなと判断し、「望みと現実」の方を使います。そして望みと現実、どちらがポジティブか判断します、勿論「望み」の方です。自分は常にポジティブの側を選択して行きます。つまり人は普通「現実はそんなに甘くない」と言って「自分の望み」を「否定」し、望みの実現を遠ざけてしまいがちです。

色んなアファメーションの中から、自分にしっくり来る物を厳選して行きます。「私は豊かになります。」「私は無限に豊かです。」「私はお金に愛されています。」「私はお金に困らない運命です。」口にしてみてしっくり来ないアファメーションは外し、しっくり来る物だけを毎日繰り返し潜在意識に植え付けて行きます。そして自分の確固たる信念になるまでひたすら無限ループし、自分が終にはその信念に成り切ってしまうまで続けます。こうして新しい信念は、古い信念に取って代わり、新しい現実が創造されていきます。

まとめると、「引き寄せたい現実」と「自分が実際に引き寄せた現実」が不一致のこともあれば、ほぼ合致していることも有ります。観念や信念を変えたのに、現実が変わってないと言う人は、まだ観念が変え切れていないのです。

「変わり映えのしない現実」に感じらるとしたら、まだ自分が変わることに抵抗しているのです。

「愛されたい」と言う承認欲求を、「他人」や「他人としての神」に求めるから失敗するのです。そうでは無くて、「本当の自分」や「自分のハイヤーセルフ」や「愛そのものである宇宙」に愛されていればいいのです。そして実際、全ての人は「無条件に愛されている」のです。

自分の目の前に有る現実は、元来ニュートラルで無色透明です。それに自分が色づけしたら、「退屈な日常」や「変わり映えのしない現実」が出来上がります。だからもしも其処に自分がポジティブな意味づけをしてあげれば、「毎瞬がミラクルな現実」「感謝と喜びの毎日」「全てが叶えられていくワクワクする現実」に見えて来る訳です。

詰まり、望みが叶ってない現実地点と、望みが叶った現実地点が有って、必ず自分は「叶った地点」に立つのです。だから「先回りする」と言うか「先取りする」訳です。それ故に「全ては既に今ここに有る」のです。




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