見出し画像

何故今(いま)此処(ここ)が最高最善なのか?

ここ三次元世界では、光より速い物質は存在しない。だから光と比較してしまうと、私は何て遅いんだ、あー駄目だのろま過ぎると自分を責めたり、落ち込んだりしてしまう。だから「比べる」と言うのは、そもそも悪癖であり悪習慣なのでそれ自体を止めてしまうと人生は楽しくなって来る。「比べるとか比較」と言う行為は何か物差しを持ち出して来る訳だが、人間の場合その持ち出して来た物差し自体が実は全てことごとく「不適切」なのである。光の速さと音の速さを比べて、音はノロマだなあと言う必要も無い。

三次元の人間は基本がネガティブ人間だから、此処が足りない、あそこが不足していると、欠点の指摘とアラ探しを仕事に生きてしまう。

しかも外界を認識して「最悪だ」「困った、困った」と呟きがちになる。

人間は好不調の波の中で生きている。だからつい「今絶不調です」と言ってしまったりする。現実世界が先で、言葉がその感想を述べてしまう。言葉が現実に先んじていないのが三次元世界の特徴と言えるでしょう。

起きた現実に感想を述べてしまう人間のやり方は何故駄目なのだろうか?それは、起きてしまった現実は既に「過去」であり、自分の感想と言う形の発言は、今この瞬間だから、今この瞬間の「最悪だー」と言う発言こそが次の一瞬を創造してしまい、自分は現実に対する感想のつもりで発言したのに、実際には「今ここ」に対して「最悪であれ」と自身の言霊で「無から創造」してしまったのである。

五次元人は、外界世界の感想を述べる為に言葉を発するのでは無くて、自分の望ましい現実を、今この瞬間に自身の言葉で創造する為に言葉を発信していく。

つまり、この三次元世界の人間は、現実が先ず有って、その感想と言う形で言葉を発してしまいがちだが、五次元人は、自身の発する言葉で世界が無から創造されていくと考えている。だからネガティブワードを一切口にしない。一方、三次元人間は不用意にネガティブ発言をしてしまいその重大さに気づかない。自分の不運や不幸や不満や不機嫌は、実は自分自身の発言が創造していたのである。

だから、今絶好調か絶不調か感想を述べるのでは無く、今の状態を聞いているのでも無くて、絶好調であるべしと言う意味で常に「絶好調」と言う言葉のみを口にすべきなのである。

今が最悪か最善か尋ねているのでは無くて、今自分は最高最善であると確信を持って断言して生きる時、その人の人生は最高最善となって来る。其処に迷いや自信の無さを混じえてしまうと、そうしたどっち付かずの現実が創造されてしまいさして面白く無い。

何かを欲する、或いは何かを望むとは、裏を返せば「今この瞬間に不満足」と言うスパイスを加味してしまう危険性がある。足るを知る、つまり「今この瞬間満ち足りている」なら「感謝と満足感」しか湧いて来ないはずだからです。

だから今幸せでも無いのに「幸せだなあ」と言うのは抵抗があると言う人が居るが、「幸せだなあ」と言う事によって幸せが寄って来るのです。誰も今幸せかどうか感想を聞きたい訳じゃ無い。ここでは「意識的な確信に満ちた発言」が肝なんです。発言に照れ臭さや自信の無さや迷いは不要で、確信を持って断言する時其処に言霊が乗って、世界は上手い具合に都合良く出来上がります。五次元人生とは、「創造の醍醐味を満喫する」事なのです。

だから「言葉を発する」とは、神様に何かをオーダー(注文)したのだと考えれば良い。「最悪だー」とは、神様に「最悪を下さい」とオーダーしたのであり、「最高最善だなあ」と言ったら、最高最善を下さいと言う意味なのである。人間は注文の仕方を熟知してないから、「南海トラフ怖い」と言ったら、神様は「南海トラフ下さい」と解釈して南海トラフを呉れます。「戦争反対」とわめいたら戦争をくれます。だから注文の仕方に細心の気配りが必要なんです。人間人類78億人の不用意な言動で人類は多大な迷惑を被っているが、自分たちが口から発した発言だから自業自得なんですよね。貴方が「今日はツイてない」なんて言うから、宇宙全体が何となくツイてないアンラッキーな世の中になってしまうんです。言葉の修行をしてないから普通にそうなってしまいます。

五次元に移住する人は全員「言霊使い」なので、自分の注文した通りの美味しい世界を有り難く頂戴し、それを堪能満喫します。



いいなと思ったら応援しよう!