バシャールとエイブラハム 7 「人生は、オセロゲームで阿弥陀くじ」
第一章 「人生は、オセロゲームで阿弥陀くじ」
人はこの世に産まれて来る際に、どんな人生を送りたいかを予めチョイスした上で生まれて来るという。
それは本当だろうか?
人生は「各種セット販売」されているらしい。ローンの返済で一苦労してみたいとか、生活習慣病で苦しんでみたいとか。
それで、人生の最終目的は何かと言うと、「気づきと悟り」を得ることである。
この「気づきと悟り」を得る為に、世界や他人があなたに揺さぶりをかけて来る。
天変地異とか大惨事とか、大事件とかでね。それらに翻弄され振り回されるのか、それとも冷静に対処できるのか?貴方は試されています。
現状、人類79億人のレベルは相当低いので、外界に一喜一憂しパニックになるのが定番と言えます。
それでパニックに成ってみて一体何を得たんですか?何か得しましたか?
結局、外界とか他人は結論としてどうでもいいのであって、自分と向き合う事、自分に専念することが、人生の目的なのだと気づけばいい訳です。そして気づけ無ければ、来世またやり直しです。
「一度限りの人生」と言う人がいる。十万回転生しても一度切りの人生です。十万回転生してたらネガティブな人生も数え切れません。そのネガティブな過去生を今ポジティブに変えてしまう。過去生のオセロゲームです。十万個の転生が一つずつポジティブに転換していく。それを「根源への回帰」と言います。そしてその回帰の仕方が一直線でなく、並行世界を阿弥陀くじみたいにジグザグに進んで行く訳です。
第ニ章 「もしも人間に生まれたら」
前世で飢餓地獄に苦しんだ人は、その反動として今世大食いや早食いの傾向があります。そして「早食いは太りやすい。」
本当は前世を引きずる必要なんて無い。でも引きずってしまうのが人間です。本当は、「自分とは、今と言う一瞬一瞬の明滅」であって、一瞬一瞬生まれ変わっていて過去に縛られてはいません。
だから、今「無から全てを創造可能」なのです。
さて、今人間界に居ないエイブラハムがもしも人間に産まれて来たら、一体何をするのかと質問してみたら、その答えが面白いし、大変示唆に富んでいます。
人間に生まれたら先ず「怠ける。」人間は、兎角「努力」や「頑張り」で自分を「疲れさせ」、結果として上手くいかず「恐れ」を懐き、「まだ努力が足りない」と思いヘトヘトになっていきます。
人間は何故「努力をしたがる」のか?
自分は無価値な存在だと言う「無価値感」が人間の大前提になってしまっているからです。無価値な自分が努力によって初めて、価値を生み出し得ると考えている訳です。
そうでは無くて、「自分に優しくなる。」「自分を癒してあげる。」それをエイブラハムは「怠ける」と表現した訳です。
自分に「安らぎ」を与えることが大事なのです。
その上で、「瞑想」し、「散歩」する。散歩して目に映る全ての物に声を掛けて行きます。つまり、愛情を注いでいく。花や木々や虫や動物に敵意の無いことを示してあげます。「生存競争の世界」って実は、全てを「敵と見做す」世界観なんです。
自分が周囲の全てに愛情を注いでいくことで、自分は宇宙に愛され注目され、支えられ導かれ、ときめかされる存在になって行く訳です。
そうなると、自分の人生は、宇宙エネルギーと一緒に遊ぶ、感謝と喜びの人生に成って行きます。
もう「恐れや不安」は必要無くなり、自分はポジティブオンリーになっています。かつて、自分とハイヤーセルフは分離していた為に、人生は空回りし苦労と悲惨が日常になっていました。被害者か犠牲者になるのが、人間の避け難い運命でした。
それはハイヤーセルフと自分を分離させて生きたからです。「内なる自分」と一体化して、「同行二人的」に生きれば、至福と歓喜の人生に成って行きます。
こう成ることが人生の目的で有って、地位や名誉や名声、金メダルやノーベル賞を貰うことが人生の目的では有りません。
一人二人が引き寄せの法則で見事成功を手にすることが目的ではなくて、万人全てが自身の「無限の豊かさ」を享受できるようになることが、人間人類にとっての成長進化なのです。