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「記憶と忘却」、 認知症と経年劣化(aging)

第一章 「経年劣化」

天使も天に永く居ると、堕落して堕天使になってみたくなる。

人間はと言うと、好奇心に駆られつい地獄に堕ちてみたくなる。

人体は老化し、糖化し、酸化してみたくなる。

生物は進化したり、退化したりを繰り返している。

機械は経年劣化を避けられない。つまり劣化と言うベクトルが有るゆえに、知性の進化も可能になって来る。

第二章 「記憶力の限界」

記憶と忘却はエンタングルされワンセットになっている。始まりが有るから終わりがある。記憶と言う始まりは忘却と言う終わりで完結します。

人間界では、記憶力のいい人を頭のいい人と呼び、暗記の苦手な人を頭の悪い人と決めつけます。

人間は、脳もしくは神経シナプスに記憶が「保管」されていると信じ込んでいるが、本当はそうでは有りません。

バシャールたちは記憶を持ち合わせてはいません。記憶を持てないのでは無く、持たないことを選択しました。なぜなら、必要な事柄は必要な時にベストなタイミングで閃くので記憶している必要がない。

記憶とは「思い出す」のでは無く、自分が今ここで「創り出している。」だから、今ここの自分が「過去の忌まわしい記憶」を甦らせたとしたら、今ここの自分がネガティブマインドに傾いているのだと気づけます。

必要な知識は知るべき時にベストタイミングでやって来るのだと「信じて疑わない」からそう成る訳です。

と言う事は、認知症で妻の名前を失念してしまうのは、失念してもいいのだと信じているからなのか。それとも妻の名前を思い出すことにワクワクしないからなのかな。

過去のトラウマを記憶し続けるとは、その記憶を忘れまじとその記憶にしがみついて、その記憶を断捨離できない為でしょう。つまり、忌まわしい記憶への「執着心」がそうさせる。

言い換えれば、「過去をその忌まわしい記憶を許してあげる」ならば、その記憶を手放せるのです。その結果、自分の心は重荷を降ろせて軽くなり軽やかに生きられるのです。

「貴方を忘れない」、それは良いけどあれもこれも憶えて置くのは記憶容量的に大変でしょう。英単語も憶えられないし、歴史の年表も頭に入らないのに、別れた元カレを忘れられないとは。

「苦しき事のみ多かりき」とは、自分がトラウマコレクターになっている。過去の忌まわしい記憶の総体を「これが自分なのだ」と勘違いしているんです。これだと「軽やかな自分」を具現化できません。

「昔は良かった」とは、今の現状がその人にとって良くなかったりします。昔も良かったし、今も良い。より高い波動に身を置くとはそう言うことでしょう。

記憶とは自分の脳内に保管しておくゆえに、忘却可能性でもある。だとしたら、記憶するのを止めて、必要に応じてその都度「受信」すればいい。

あれも憶えておかなくちゃ、これを忘れないようにしないと、確かにこう言った記憶で苦労する人生は疲れます。

そう言えば、証人喚問の時、「記憶に御座いません」を連発した人も居ました。全てを忘却することが「全き自由」への扉なのかもしれません。

言い換えると、全てを忘却することで初めて「全知」たり得るのかもしれない。前世の記憶を喪失する「記憶喪失者」たることで、今世を新鮮に体験できたりもするからまんざら悪い事でも無い。と同時に視野が狭いから失敗も多くなる。

知の巨人と呼ばれた知識人も認知症になれば、自分の名前も書けなくなる。

自称暗記の天才たちは、期末テストが苦痛では無くむしろ嬉しみなんです。彼らは記憶力ゲームとして一夜漬けを樂しみます。一方、暗記が苦手な人はテストが火事で中止になればいいのにと思う。記憶力ゲームにワクワクできないから暗記が苦手なのです。

博学の人は知的好奇心が人より旺盛です。苦手な科目と言うのは、自分がワクワクできないから、頭に入らないし、憶えても直ぐに忘れ記憶に定着しません。

電子辞書には辞書や事典の何冊分が収められていて、人間の頭にそれら全ては入り切らないから、記憶の点でも計算スピードの点でも、人間はAIには敵わない。だから、記憶は必要無いし、計算スピードも速くなくていいんです。

人間の本来的機能とは、記憶性能や計算能力では無くて、「創造性の満喫」なのです。「こんなことも知らないの?」と無知な人を馬鹿にしたがる人は少なくないが、知る必要がないことは今識ってなくてもいいんです。

「へー、初耳です」と言ってその時その都度根掘り葉掘り聞き出せばいいのです。

第三章 「宇宙にアクセスする」

意識は、宇宙と言う「全知全能の海」を漂い泳ぎ呼吸しています。必要を感じたらその時その都度「水に聞き、空気に聞き、森に尋ね、水晶にアクセスすれば良い。」

記憶の保管と保持は、維持管理と言う「重たい荷物」と言えなくも無い。

忌まわしい記憶は、記憶喪失してしまってもいいんです。そして「楽しかった思い出」だけを時折思い出して愉しめば良い。地獄は何故地獄なのかと言うと、其処が忌まわしい記憶のコレクターたちの住環境だからです。彼らはネガティブとポジティブの峻別能力をまだ身に着けてないから「苦しい」訳です。

「記憶する」のでは無くて、「受信する」のです。言い換えると、今ここで「創り出す」のです。想像とは創造なのです。自分が想起しえたものが現実化します。だから、自分の望まないことは想起したり想像したり、意識を振り向けてはいけないのです。人間を「錯誤存在」と言うのは、自分の望まないことにばかり自分の意識を振り向けてしまう病癖があるからです。

この世は、体験型アトラクションであって、心霊スポットやお化け屋敷や怪談話や殺人事件で「恐怖心」中毒になる為に在るのでは無くて、自分の中に芽生えた夢や願望を叶えて樂しむ為に存在します。

暗記で苦労し、物忘れに悩む。記憶力を巡る人生の悲喜こもごもから人類は何を学べはいいのでしょうか?

全てを忘却の彼方に棄て去って、軽やかさと自由を満喫する時、人間は自分が「全知」であると気づくのかもしれません。






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