「人類は、何故駄目なのか?」
「人類って、現実をついつい認識しちゃいますよね。」
「そりゃ認識するでしょ。自分の眼の前に現実が有るんですから。」
「いや、それが可怪しい。」
現実は、実は存在しないのです。だから現実なんか『認識しては駄目なんです。』
ついつい「認識」してしまうから、現実は図に乗って、存在しないのに、あたかも存在すると貴方を騙(だま)し続けるのです。
それですっかり騙された貴方は、現実世界で起きる色んな出来事にいちいち一喜一憂する「反応ロボット」に成り下がったのです。
だから貴方にとって、現実を「認識もしないし」、其処で起きる出来事に「反応もしない」生き方が、人類としての「正解」なのです。
でも現実世界を「認識もせず」、現実の出来事や事件に「反応もしない」としたら、そんなの人間じゃ無いよ。
「認識と反応を止めてしまう人生って可能なの?」
「認識」と「反応」は、何故に存在するのでしょうか?
それらは、「人類を神に造られし被造物に留めておく為の手枷足枷(てかせ足かせ)なのです。」
だから「認識と反応」を止めたら、人類は本当に自由に生きられるのです。
「現実を認識もしないし、現実世界に反応もしない?」
「じゃあどうすんのよ?」
ひたすらアファームする、ひたすらビジュアライズする、ひたすら空想に耽(ふけ)りイマジネーションする。ひたすら言霊を発する、そしてワクワクに従って行動する、以上。
他に何もしない。
これで生き方変わりますぜ。
人間じゃ無くなるね。
人類を卒業できます。
待望の神人類ですね。
そうです。