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俯瞰する自分を俯瞰する

例えばあなたがこの世の寿命を終えたとする。その時あなたの意識はあなたの肉体から離れ、棺桶の中で安らかに眠るあなたの遺体を中空から感情移入しないで眺める。

映画を観てその映画の世界に入り込むのはあなたのミラーニューロンがそうさせる。観てる映画に飽きて来たらあなたはそっと席を立ちその場を立ち去るしかない。
メディアは、これは大注目です、目が離せませんねと、緊迫する世界情勢にあなたの目を釘付けにする。そして好きなサッカーの試合にあなたは夢中になる。そもそもあなたがこの世に好奇心を抱くから、この世に肉体を作りその中に入った訳です。だがいざ肉体に入ってみると辛い事や苦しくて死にたくなる出来事に直面してあなたは死を選んでみたくなる。

それで肉体を離れたあなたの意識は一体何処に行くのでしょうか?あの世ってどんな処かな、しばらく滞在してみるか?こうしてあの世での新生活がスタートする。この世の事はすっかり忘れてあの世の暮らしに慣れて行く。

そう、前世の記憶をすっかり無くしたあなたは実は記憶喪失者なのです。いやこの世での経験を覚えておく事は、暗記の苦手なあなたにとっては苦痛かもしれないし、今世は忘れたい出来事ばかりだったのかもしれない。

誕生とは肉体の中に入り込む作業であり、死とは自分の肉体に別れを告げる瞬間である。生きてる間は肉体というゴーグルを通して、あなたは十分この世を体験し満喫出来た。この世と言う体験型の遊園地が嫌になったりする事は有るんでしょうか?この世はあなたにとって体験型の生き地獄だったのでしょうか?地獄極楽この世に有りとか言います。さてあなたの人生は今地獄極楽どちらを体験中ですか?悲しみに暮れる親族に感情移入しますか?その時ミラーニューロンを発動させますか?神経伝達物質は不足してませんか?マグネシウムは足りてますか?カルマグ比を考えた事は有りますか?あなたの腸内細菌は良好でしょうか?肉体が健康を維持するのも人間にとっては一苦労です。人生百年時代にこの世に数日しか滞在しない新生児もいるんです。百年しか生きない人類に数千年生きる神人類は、「短い人生じゃなあ」と呟(つぶや)くだろうか?
寿命の長短は意識の優劣を意味しない。一秒を千年分に感じて生きる素粒子だっている。

千年経っても年取らん、そんな生き物居るわけ無い。老いとは人間に特有の時間認識に他ならない。つまり人間はまだ時間とか年月を十分理解出来ていない。時間の不可逆性を未だ克服出来ないでいる。それは「老い」を体験したいからでしょ?しわくちゃのジイさん婆さんになって老衰を体感してみたいです?人間って変な生き物ですね。
何故不老不死を追求しないんでしょうか?夭折の天才とか言われてみたいからですか?

肉体としての自分を俯瞰するのは幽体離脱的視点に立つ時であり、大抵の人は死後その視点を獲得する。

産まれて来るとは、この世と言うマトリックスの中に、人体と言うマトリックスを作ってその中に入り込み、其処を牢獄と感じる事なく、ガンダムに乗り込んだ少年の如く人体の操作性を楽しむ。ハイハイしたり、よちよち歩きしたりする度に褒めて貰えますから。マトリョーシカの中にはマトリョーシカがいる。マトリックスの中にもマトリックスがある。こうして宇宙はマトリョーシカのようなマトリックスになっている。十二単衣は単なる重ね着ファッションでしょうか?意識は重ね着ファッションが大好きです。肉体と言う衣服を脱ぎ捨てたら自由を謳歌出来ますか?

脱出の経路はこの逆を辿って行けばいい。つまり人体から幽体離脱して、この世を後にすれば良い。

世界情勢に感情移入しない幽体離脱的視点を持つ事は可能でしょうか?この世から撤退するのは何年後ですか?で何しにこの地球にやって来たんでしたっけ?忘れました?前世も前々世も覚えていません?ボケが始まった?

そもそもこの世は記憶するに値するのだろうか?「全ての記憶は一時記憶に他ならない。」人類史は消去してしまえば無かった事に出来る。人生に意味を与えるのは誰なのか?結局人生をやり直したい人ばかりだから来世が生じる。

望遠鏡で地球を見つけたら地球を侵略してみたくなった。降り立ってみたら人体が欲しくなった。普通の人の誕生の動機なんて他愛無いものなんでしょ?人類救済を目的に地上に生を受けた訳じゃ無いから。
地上での人生は楽しむ為か、それとも苦しむ為か?人間は皆んなことごとく死刑囚と言う名の囚人だから寿命と言う刑期を終えたら一人残らず死刑執行されてあの世に送られる。不死を与えられた人間はいません。と言う事は、死とは一種の刑罰なんでしょうか?
人は罪人だから死刑を免れないの?

罪なき生き物は不死でもいいんです。と言う訳で悟った順に不死を手にする訳です。自分の中の不純物を取り除くプロセスを修行と言うのかもしれない。

肉体を抜け出せなくて、人は人生に四苦八苦する。肉体に入り込んではしゃいでいたあの頃が懐かしい。こうして人は肉体に入り込んだり抜け出したりする事で何かに気づき何かを学ぶ。さして何も学ばずあの世に逝ってもいい。転生は無限反復可能です。

人の一生は長いようで短い。短いようで長ったらしい。感じ方の問題は単に気の持ちように左右される。太く短く生きてもいいし、だらだら千年生きてもいい。それで生きているのは、あなたの肉体ですか意識ですか?あなたの意識は肉体の死と運命を共にする安価な意識体ですか?人類は何十億人いようとも悟れる人は一人か二人なんでしょ。人類の大多数は未完成な欠陥人間のまま一生を終える。また次のやり直し人生で逢いましょう。その時が来るまでゴキブリのように地上を徘徊して、胃袋の奴隷もしくは生殖器の下僕でいるつもりです。

人生は複雑系だから一概に言えない。
だからシンプルライフも複雑怪奇になっていく。死にたくなったりまた来世を欲したり、一体どうしたいんですか?自分の意識が自分をまとめ切れないんです。肉体があって精神があって...。いや精神が存在すると言うエビデンスは無いし...。あなたの知性で解る事は限られている。そのうちに寿命が尽きてあの世に逝く。あの世が存在しない人の面倒は見てられません。彼らの道のりは遠すぎる。








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