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ドッチーモは僕らに何を教えてくれたのか?


「ドッチーモ」

そう、あの「ケータイもPHSも使える」という触れ込みで登場したNTTドコモの端末。
ケータイでもあり、PHSでもある──まさに「どっちも使える」から「ドッチーモ」。
名前だけで拍手喝采を送りたいくらいの秀逸なネーミングセンス。

ケータイはガラパコス呼ばわりされ、「PHS」はVHSと同様に生まれた年代を推測する踏み絵となった現代において、ドッチーモの存在意義について、半ば強引に、半ば無理矢理に考えてみました。


未来を先取りしすぎたガジェットの宿命


当時の僕は「これ、すごいじゃん!未来じゃん!」と、かなり興奮していました。ケータイの広域性とPHSのクリアな音質を両立するなんて、まさに革命的。でも、実際に使ってみると「どっちのモードなんだっけ?」と困惑することもしばしば。便利さを追求した結果、技術的な課題が露わになった瞬間でした。ここで僕が気づいたのは、「万能を目指すことの難しさ」。すべてのいいとこ取りをするには、土台となる技術や仕組みがしっかりしていないといけないんだな、と。

たとえば今のスマートフォンって、カメラ、通信、アプリ、すべての機能が高いレベルでまとまっていますよね。でもそれは、過去の失敗や試行錯誤の上に成り立っているんです。ドッチーモもその一つだったんだと考えると、失敗ではなく「次の成功のための一歩」だったと思います。

「便利さ」の本質を考える


ドッチーモを振り返ると、便利さの追求がかえって混乱を招くこともあると学びました。たとえば、PHSエリアからケータイエリアへの切り替えがスムーズじゃなかったり、どっちのモードが有効なのか分からなくなることがあったり。でも、これって今の時代にも通じる話だと思いませんか?

便利さとは、ただ機能を増やすだけでは成り立たないんですよね。ユーザーにとって「どう分かりやすいか」「どう快適に使えるか」が重要なんです。たとえば、今のスマホアプリも機能が豊富なものほど、UI(ユーザーインターフェース)が洗練されています。ドッチーモが挑んだ課題は、今なお僕らが考え続けるべきテーマなのかもしれません。

失敗こそが未来をつくる


ドッチーモは、確かに短命でした。でも、それが残した教訓は大きい。「両方のいいとこ取り」を目指すというチャレンジ精神。それは技術開発の原点であり、進化の源泉です。たとえば、スマートフォンのデュアルSIM機能や、電動車のハイブリッドシステムも、どちらか一方に偏らず、両方の良さを追求しています。ドッチーモはその先駆者だったと言えるんじゃないでしょうか。

そして僕らに大事なことを教えてくれました。「万能を目指すには、技術だけじゃなく、使う人の視点を忘れてはいけない」ということ。これはガジェットだけでなく、仕事や人生にも言えることですよね。すべてを求めるのではなく、「本当に必要なものは何か」を考える。そんな視点を持つことが大事なんだと思います。

ドッチーモが教えてくれたこと


ドッチーモは、その短命さゆえに語られることの少ない存在かもしれません。でも、その挑戦には価値があります。「両方のいいとこ取り」というシンプルだけど難しい課題に正面から向き合った結果、僕らに「便利さの本質」を考えさせてくれるきっかけを残してくれました。


最後に

この記事を書く中で知ったのですが、京王線の定期で「どっちーも」ってあるんですね。

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