"伝えるチカラ"と"真偽"の話
先日、友人の裏での努力や苦悩の話を聞き
つい本人の前で涙がでてしまいました。
「どうしてその気持ちを、状況を、本当のことを言葉にして伝えないのか」と聞くと、悲しそうに「応援してる人を心配させたくない」「キャラクターに合わない」と。
でも、解こうとしなければ誤解は解けない。
行動にしろ、発した言葉にしろ、
見えるものこそが受け手にとっては全てです。
どんな努力も、どんな想いも、人格も
言葉や行動で伝える技量が無ければ
いとも簡単に誤解されてしまう。
「見えない部分が分かってしまう」と
受け手が感じることでさえ、結局のところ、
見える部分から判断した憶測でしかない。
「どう思わせるか」も含めて
"伝えるチカラ"が常に求められます。
「嘘はいつかバレる」なんて詭弁です。
前述した僕の友人のように
"本当に質の高い嘘"は誰も見抜けません。
結果としてそれが誤解を招くこともある。
でも、その話を聞いて同時に思ったのは
"本当に優しい嘘は誰も傷つけない"
ということです。
嘘も本当も使いよう。
詰まるところ「本人が本当は何を想い何をしているか」なんて、本人とその内部事情を知る者しか知り得ません。「嘘か本当か」は最も重要なことではないということです。
どんな嘘もどんな本当も
人を傷つけ得るし、救い得るのだから。
もちろん忘れては行けないことは
"人を幸せにする本当"も
世の中には溢れているということ。
"嘘も本当も、伝える手段に過ぎない"
"一番大切なのは伝えるチカラ"
という話でした。
誰よりも想いを伝えられるよう
これからもたくさん伝えていきます。