日本の企業公式ツイッターが女性を怒らせてる仕組み:クソフェミとクソアンチは常時ニコイチ問題wクソアンチが女ならクソフェミになるという同類現象。
私、ツイッターやらないのですが、ニュースによると企業ツイッターがかなりの頻度で女性たちを怒らせているようですね。この現象のしくみについてちらりと書いてみますw。フェミネタはかなり危ないけどw。がんばるよw。
※前置きは余談なのですっ飛ばしてくれても問題ないですw。
<前置き>というのも、フェミネタに反応してる男性に反応すると恐ろしいことになるってのは知ってたのですが、あまりにもひどいこと書いてるのがあったので、私コメントしてみたのですw。サルの件に関して、男は悪くない、悪いのはクソフェミばばーという反応にいいねが230くらいついている場にて、果敢にも「なんかおかしくね?」ということを投稿してみたら、昨日深夜まで四方八方からクソばばー、てめー処女だろ、豚小屋で寝とけ、もてねーおんなで不細工なんだろうな、と、3名くらいから誹謗中傷されまくって驚いた。。。す、すごくないですか?!私、コメヌシの「こういうツイートに反応してる女の年齢が分かるわ」という一連の女性へのインセル行為に対して、問題の本質がまったくわかってないコメントだったので、「年齢が想像できたら何がどうなの?言ってることが結局年齢至上主義じゃない?」と書いたのですよ。そうするともう、猛攻撃がすごかったっす。こういうことできるって本当に驚いてしまう。どういう人生送ってきたらこういう男性が仕上がるんでしょう?!誰か教えてくれw。こういう人にも彼女とか奥さんとかいるのかな!?wとてもいるとは思えないんだけどそういう人がもうほんと、多くて、日本どうなってんだ、と思うわけなんですけれども。。w。私も負けずに相当やり返し、下記にいまから書くことも言ったのだけどそんなことは全然聞いてなくて、女性がとにかく憎いらしいw。今も止まってないよw。早く返事しろと4連投してきてますw。そして私も負ける気はしないので今、「そんなインセルだと、お〇ほでしこりつづけるしかないだろうね、お疲れw腱鞘炎気を付けてね」とやり返したw。こういうやりとりって本当に、どこにもいかないですよねw。こうやって男性「男性可哀そうー」とかいって擁護しない場合、しらみつぶしに誹謗中傷して、フェミ的な主張を言いづらい雰囲気を作るのに一生懸命の男性たち。。。痛い。。。私はツイフェミとは無関係で擁護するつもりもないけどおかしいことはおかしいといいます。kutooとかは私にはわかりませんし、なんなら同一賃金同一労働なんかもわからないwどちらかというと男よりの女だと思っているwなので女というくくりで見られることには違和感を感じます。わからないものはわからないし、わかるものはわかる。まあそんなかんじ。このツイートの件に対しては男性を全然可哀そうとは思いません御免w。条件反射的に自分たちの特権を死守しようとしてるだけにしか見えないんだよねw。そしてかなり誹謗中傷攻撃型人間に成り下がってることに多分自分で気づいてないw。それがクソアンチフェミの特徴かとw。そしてクソフェミとクソアンチフェミはALWAYSニコイチで実は非常に似た人種ということなんですけどねw。で、このおかしなことが発生しているツイッターの現象にて、そもそも論点が間違ってるということを説明しようとしても全然話が通じないのでnoteにて書きたいと思います<前置きここまで>
ここから本題w
最近で言うとATSUGIというタイツ作ってる会社や、日本モンキーパークという動物園が”女性蔑視”な表現をしたということで、一部女性から批難クレームが相次いでいるようです。そしてそれについて、その投稿が不適切だったのかどうか、過剰反応だったのかという視点での議論がにぎにぎしいです。
擁護するのは男性が多いようで、一部女性もクソフェミと一緒にしないでほしいと声をあげる人もいるようで、そういう人の主張としてはだいたい「こんなの男性が同じこと言われても問題になりもしない」、とか、「いちいち目くじら立てるのは一部の過激フェミだけ」「じゃあなんていえばいいんだよ。こういうのって女との溝をかえって深めるだけだろ」とのことですw。
件の投稿ツイートは下記↓
あのねそういうことじゃないんですよw。文脈視点や、逆の性別(男)だったらのIF視点はどうでもよくて迷宮に入るので、私なりに説明と解釈をします。いくよ~w!!
企業ツイッターの中の人手法は日本特有な件:
中の人と呼ばれる企業のある特定の社員がその特定性を全面に出して企業ブランディング目的でツイッターを発信する手法ですが、これは日本独特の文化です。海外とくに欧米ではまずあり得ません。なぜかというと①企業ブランディング目的のSNS利用で、特定の社員で属人的にフリー投稿させるのはコンプラ視点でリスクが高すぎる。したがって欧米の場合プロにアウトソースするケースが多い。②そもそも企業アカウントとのオトモダチコミュニケーションを欲してるエンドユーザーがいない。企業をさん付けして呼ぶ欧米人がいないように。
からですw。
しかし日本の場合、だいたい2010年くらいからでしょうか、”中の人搭載型”企業ツイッターが登場し、ユルフワでつぶやき出しました。企業アカウントなのに、その企業の1人の社員がゆるく、会社の愚痴やボーナス結果なども含めた、日常をゆるふわつぶやき、往々にして直接エンドユーザーとゆるーい話題でコミュニケーションすることで、”エンドユーザーのお友達”となり、エンドユーザーと同じ立ち位置・視点に寄り添うことで親近感と愛着、ひいてはブランドロイヤルティ形成を目的とするものです。初期にこれを発明したアカウントたちは、日本企業で当時問題視されていた「プロダクトアウト視点ではもう売れない」ということへの課題解決として出てきたソリューションなんだと思います。ユーザーのところに”降りていく”ある意味ではマーケットイン的手法を、SNSに取り入れたわけです。素人っぽくつぶやいておりますが、非常に広告手法を熟知した社員が・マーケティング視点を持って取り組んでおりました。いわゆるプロ。私のいた企業ではもう10年同じ1人がずーっとツイートを毎日投稿するのを仕事にしていますw。すごいよねw。そして黎明期のアカウントが成功を収め、その手法やスピリットを講演会的なものでどんどんシェアし、その手法はあれよあれよと広まり、現在時点で、亜流”中の人”企業ツイッターが大量に登場しました。これが現在地です。これらの亜流アカウントはマーケティング戦略・専門知識のある社員がやるのではなく、”ただの社員のおじさん”がやらされることが多いです。これらの企業ツイッターをやる企業としては、①ものを売るつまりメーカーや、②お客さんに来てほしい飲食・サービスなどの客商売という業態が多いわけですが、往々にしてこの2つの業界は生え抜きで純正培養された閉鎖的価値観・企業文化や体質をお持ちの社員とくに男性社員が多く、ダイバーシティ的な視点に接する社会的機会が少な目の人々です。そういう人が、上から言われて受動的にやるという流れとなっておりますw。マーケティングの専門的知識、ブランディングにおける運用知識のある社員ではなく、「なんか日常つぶやけば親近感持ってくれる」という考えの素人の社員ですw。こういう素人が中の人手法で企業ツイッターをやるとどうなるかというと、
かなり高い確率で、公私混同が発生しますw。
俺日記的なことをぶっこみ始めますw。
個人アカウントではなく、企業アカウントで個人の価値観をぶっこみはじめてしまうわけですw。こうなるともうこのアカウントはリスクしかないので、上長なりなんなりが早期に気づけばいいのですが、その上長もそういうノウハウがないので、気づくわけもなく、公私混同がひとしれずどんどん助長されていく。。。。そしてある時ドカンw。
企業アカウントにグレイラインを行く自由はない
もともとこの企業アカウントの設置というのは、顧客接点視点でブランディングなわけですから、正しいとか正しくないとかではなく、許容範囲とかそういうことでもなく、ターゲットとするお客様と、良い関係を構築することなのですから、そのターゲットに対して不愉快な投稿をしてしまうというのは、明らかな業務視点を忘却したことによる公私混同なわけです。きわめて運用難易度の高いマーケティング手法を、閉鎖的環境で純正培養された古式家長制度価値観のド素人の社員が取り入れると、こうなることは結構自然の成り行きなわけですw。
その素人の凡ミスに対して、この表現が許容範囲かどうかなんて議論は本当に不毛でしかないのですw。企業アカウントはそもそも人ではないのですw。
しかしこの中の人文化というのは、その視点を見る側に完全に忘れさせてしまった。したがってさも企業アカウントが、個人アカウントであるかのような議論がなされてしまうわけですね。先日見たニュースコメンテータなどは「中の男性も一生懸命悪気はなくやってるから可哀そうです」という解釈になってきてしまうわけです。個人アカウント扱いになってるんですね。中の人が可哀そうとか言う視点自体が奇妙なものなのです。そしてこれは今たまたまフェミ系トピックが話題に上がりやすいですが、さまざまなコンプラ面でのリスクを同時にはらんでいて炎上もしています。素人がやる限り延々とこういうことはループします。
企業アカウントを個人アカウントとして議論するのは中の人文化のせいで間違いありませんw。しかしそもそもこの2者はSNS利用の目的が違います。企業アカウントの目的はエンドユーザーないしステークホルダーとの関係構築。個人の情報や意見や価値観の発信ではないのです。しかしニュースでの取り上げられ方、コメントのされ方としては、じゃあ俺個人のアカウントでやると、、、みたいな個人アカウントへの転嫁が必ず発生していて不毛になってしまうのです。そこのすり替えというのが中の人文化によって無意識に起こってるんですね。
まとめると、元祖中の人手法は、ゆるふわに見えるだけで、極めて戦略的に運用しているが、亜流はゆるふわに見えるだけではなく、運用自体がゆるふわ。そこに閉鎖的日本企業の価値観が影響したら確実にコンプラには違反しまくる。これはフェミ論点だけではなく、そのほかのコンプラ的にも炎上必須。
したがって企業ツイッターの中の人の亜流化を改善するしか根本解決はないわけです。グレイのラインが許容範囲かどうかなんてことの議論はまったく無意味です。個人アカウントなら自己責任の範囲で自由に自分の価値観をつぶやけばいいのです。企業アカウントがグレイのラインを発信する自由は実際ないのです←これ大事です。その切り分けが見る側に気づかれずにできるのがプロ、できないのが亜流というわけです。それはマーケティングスキルの獲得であったり、アウトソースの検討や、運用体制にプロのアドバイザーを入れるなどの見直しであったりするわけですが、そもそもそういった資金のないところではまず無理なので、炎上商法でない限り、亜流中の人は、中の人手法のアカウントをやめてしまって普通のアカウントにするのが賢明かと思います。この亜流化現象がステークホルダーを怒らせちゃう根本原因なのですからw。
最終まとめ:
①日本のツイッターの企業”中の人”文化は日本特有の現象。②中の人の亜流化が発生している。これが組織アカウントの公私混同の原因。そしてコンプラ意識できないグレーラインをつぶやいてしまって炎える。③中の人文化が浸透しすぎて、見る側に論点のすり替えも起こる。これが見る側の視点の課題。個人アカウントとして企業アカウントをとらえてしまって男性が可哀そうとか言い出す。個人アカウントでは自己責任の下どんな価値観も自由につぶやけばいいが、企業アカウントはそれは完全アウト。そもそもそんなグレーを行く自由さえあるわけないということを理解してない。それが中の人文化に侵食された日本人のなう。④改善するには、リソースがないならば普通の企業アカウントにすること。このまま中の人をやりたいなら亜流化を改善することしかない。
あんまりまとまってなかったw。
それだけの話です。過剰に「じゃー男はどうすりゃいいんだよ」と言ってる人は防衛的な条件反応ってやつだと思うw。そういうもんだいじゃ、ないんですってばw。個人アカウントでは個人の責任の範疇で自由につぶやけばいいのですw。最終的に、過剰フェミに過剰アンチフェミが反応するという、ニコイチ現象が必ず起こってるという滑稽さよw。
更に防衛のためにおかしな条件反射しちゃってかなり女性に対して攻撃的反応を見せている男性に言いたいのは、「男性だったら何も言われないのはおかしい」と思うなら、「今日はいつもの素敵なお兄様じゃなくて、珍しく若い男子がお客様に来てうれしい。でも素敵なお兄様も大好きですいつもご利用ありがとうございます」という企業ツイッターがあれば、反論したらいいじゃないですか?wなんでしないんですか?何もしないでおかしい、被害者だというのはかなりおかしいと思うんだけどw。実際、女性の中の人でこういうツイートしている人は皆無かと思います。企業ツイッターの中の人で、女性で、こういう主旨の男性限定で不愉快なつぶやきしている人がいたら是非教えてほしい。多分ないと思うんですが。そもそも男性に対してそういうかたよった評価指標を持ってるのはごくごく一部の女性だと思います。そしてまして企業ツイッターで上記のようなことは絶対つぶやかないですよw。どーみても、きもいでしょ。上記のようにツイートが男性に置き換わってても、私はキモイと思うし抗議していい内容だと思うよw。それって性別関係ないはず。もし上記男性へのツイートで何も感じないなら多分よほど読解力がないので、国語の勉強からし直した方がいいと思うよw。でも以下なんて、ハッシュタグつけてるので棒よみですよね明らかにw。でもまあ何も感じないくらい鈍感な方が幸せ、というのはあるのかもしれないけれども。おめでたい人確定はあるかと思うw。
あと、20歳超えたら自分やその人のことを男子女子呼ぶのはやめましょうw。成人、してるから!十分大人だからw。成人してるのに、childishに見えますのでね。
ではなぜ日本人はこの中の人ツイッターを好むかというとこれは大変興味深い現象でして、AKB文化が結構近いかとおもいます。
AKB文化と中の人文化の共通点:
共通点は、フィルター少な目のピュアに近く”見える”ものを覗き見たい心理。そしてその純・生に見えるものを自分たちが応援し、励まし、ボンディングすることで一緒に育っていくことに、楽しさを感じるという心理があげられるかと思います。
キーポイントは”ピュア・素人”に”見える”ことです。実際にピュアで素人であるかどうかは実際はどうも関係ないようです。いわゆる”推す”という現象ですねw。これがこの中の人文化と極めて類似する性質が多いかと思います。
長くなったのでこの件はまた後日にします。