圧倒的な正しさ
平素よりお世話になっております。高島です。
元来汗っかき体質ですが、この夏は拍車を掛けて暑い。日中に一瞬でも外に出ればもうシャワー浴びたいレベル。
替えの衣類をもってしても焼け石に水、苦肉の策として取り入れているのが昨今SNSにあがっている「上裸」スタイルです。
これならそもそも衣服を汚さなくていいし、なにより涼しい。大発見だ。
そんなスタイルで喫煙所にいると「…うん、さすがに上は着よう…!」とエンジニアさんにたしなめられる始末。近隣の皆さま、すいませんでした。悪気はないんです。
ホラー映画をよく観ています。自宅、ツアー中の車内やホテルでも。
混雑した電車でも観ていましたが、隣あった乗客に怪訝な顔をされたのをきっかけにこれはさすがにやめよう、と。
音声ベースで楽しめる怪談に切り換え、常に怪異・奇怪な世界の旅を続けています。
目に見えない世界があるのなら、ある方がいい。死後の世界だってあったほうがいいに決まっている。
いつか僕がこの世から巣立ったあと、ビーグル犬のラッキーや金髪タトゥーマンと再会できるのだ、と思えれば生きていくのもなんだか怖くない。
恐怖の類も常用していれば耐性もつくだろう。元来ビビりな自分なりの処世術なんだ、と思うようにしている。
昨日、そんなことを知人と話した。
なんでも上京し当初は新宿のネオン街や、ありとあらゆる輝かしいコンテンツに胸を高鳴らせていたそうだが、やがてその都会特有の猥雑さに疲弊し、自身の方向性を見失ってしまったそう。
いまの僕の心を動かせるのは「恐怖」しかない。惰性でも足を前に出してればどこにでも行けることを知ってしまった、すべてが予定調和。
この凍り付いた心を破壊し、震わせることができるのは「恐怖」。これしかなかろう。
都市伝説でもこういった話がある。生まれながら痛覚のない人間。
こう聞くと痛みを感じないなんて最高・最強、タトゥーだって入れ放題やんけ、と思ったのだが、この都市伝説ではそうはいかず。
痛みを感じないが故に重篤な怪我にも気付けず、その時すでに遅し。若くして命を落としてしまった。
恐怖だって感じることができるから、予想されるその先の危機を回避できる。痛みや恐怖というのも表裏一体で、正しい摂取の方法をとればそこまで忌み嫌うものでもないのかもしれない。
ただ知人に話したこの話はあくまで処世術の一端で、失ってしまった方向性を再発見・再設定できるものではない。
だって僕自身も絶賛見失い中で、最新鋭のカーナビ装備、前後・左右にまでドライブレコーダーを揃えました、さぁどこに行きますか、の現状。
自分が行くべきところもよくわかんないし、行きたいところも特段思いつかない。
音楽を作る、タトゥーを入れる、それだけ。良い女を抱きてぇ、高い酒飲みてぇ、でっかい家に住みてぇみたいな「強烈な欲望」が湧いてこないのだ。音楽やタトゥーは自分にとっての「手段」であったはず、それを使ってなにを表現したかったか。これがどうも思い出せない。
光陰矢の如し、それでも時は進んでいく。どうやら僕は焦ることすらも失ってしまったらしい。
とりあえず歩みは止めない。惰性でもとにかく足を前に出す、そうすればいつかはここじゃないどこかに辿り着いて、見知らぬ土地に感動できるかもしれないし、またがっかりするかもしれない。
それでも「諦めた」はずの人生。立ち止まることも諦めて、追順することも諦めて、愛想笑いも諦めて、憧れのだれかみたいになることも諦めた。
ならば持ち物の少ない今の状態はわりかし理にかなっているのか。
でもいつかは26インチのでっかいバスドラムが欲しい。
あ、ほら、また音楽の話してる。
以上になります。
それでは引き続きよろしくお願いいたします。