ビー・マイセルフ
平素よりお世話になっております。高島です。
自分の中で「べき論」があって、どんなことがあっても親兄弟は大切にするべきだし、ミュージシャンを名乗るなら一発でも緩い音は出さないべきだし、大事に育てられてきたのならどこへ出しても恥ずかしくない人間であるべきだし。
ただ、暮らしていくと必ずそうではないシチュエーションに出くわす。
その度に軌道修正していくわけですが、日に日にその負荷が重くなる。「このままじゃヤベーな、マジで戻れなくなっちゃうかも」とか言いつつどうにかなってきたことも、今は必死に泳いでもぜんぜん元いた海岸に近付けない。なぜだか自分の弱さを許すことができない。
昔、自分の長所はこの「弱さ」かもしれない、と思ったことがある。
自分は弱いから他者の弱さに気付くことができる、どんなに小さいエラーも見つけられて、それを修繕できればきっと強さに繋がるのだろう、と考えた。
演奏にも(神経質なまでに)良い影響を及ぼしている部分もあるから、これはこれで正解なのだろう。しかしその代償が骨折では元も子もない。
もっと有名になりたい。もっと金持ちになりたい、もっともっと女にモテて、もっと良い家に住んで、大手を振って世界を歩いてやりたい。
そう思えればいいのだろうか。これぐらい強烈な欲があれば、自分を大事に、己を自認できるのか。誰かに向ける愛が足りないのかもしれない。
いやいや、そんなことないわ。人間斯く斯くこう或るべき、なんて別に俺が決めたことじゃないし、自分で選んだわけでもないのに。何のために、誰に気を遣ってるんだ。
人間とは「“人”と“人”の間(あいだ)」と書く、つまり双方向で発生する社会性こそが人を人間と定する、ような話を聞きました。
人は一人では生きていけない的な話になっていきますが、自己を露呈することで社会からはみ出してしまうことを恐れ、「べき論」を盾に自滅して骨折してるわけで。
何かを得るために行動をするのか、行動した結果何かを得るのか。
どちらかだ、と決めたはずなのにすぐに見失ってしまう。
ビー・マイセルフ。恥じることなど何もないはず。
以上になります。
引き続きよろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?