「わたしはそうは思いません。」
平素よりお世話になっております。高島です。
ボールを「丸い」と、空を見て「青い」というのなら芸術はこの世に必要なく、物事や現象を音や絵筆などを用いて、より明確な、より的確な表現をする、またはその挑戦をすること。
クラッシック音楽は宗教をバックグラウンドに持つように、音を用いてインフルエンスするのは個人の主張よりも、現象や出来事や時間、つまり「他」の存在である方が好ましい。
未来を予見することはしない。過去には何の用もなく、写真を撮る習慣もない。
重要なのは「今」、今自分がなにを感じたか、今目の前に誰がいるのか、今何を思うべきか。瞬間瞬間を切り取り、適切なサイズでシンバルを叩いたり、音を置きにいったりする。
そうしてカタチのない音の羅列、デザインされた空気が出来上がる。
大量消費のなかでは「非・生産的」、この「無駄」と一蹴された中から抜け出すことも、抗うことも決してせず、じっと一点を見つめ「今」だけを切り取る。
それこそが自分のやるべき行い、あるべき姿なのだ。
などと考えていたら年が超えていました。皆さま明けましておめでとうございました。
夜な夜な酒を喰らいながらドラマを観て、翌夜には話がまったく繋がらず「これはおかしい、きっとネットフリックス側がバグってるに違いない」、と二話前に戻ってドラマを再開させる。
翌日になっても、その翌々日になっても、ネトフリのバグは一向に改善されず、いよいよモデム初期化か、と思うが部屋の隅にキレイに並んだ酒の空き瓶たちを見つめているとそんな気も失せてくる。
昨晩だって友人のライブをただ観に行っただけなのに、気が付くとAirPodsProの右耳と節々の記憶がない。
無駄に払ったタクシー代、音楽を聴けない無駄な移動中、お巡りさんに「あんまり飲み過ぎたらダメだよ」と心配された無駄、無駄に何度も観るドラマ。
すこし気を抜けば無駄なことばかり。とはいえその対の有益なこともすぐには浮かばず。
この時期になると毎年「なにか目標とか夢を持ってみたらいいのでは」といわれますが、その度に表題の言葉を口にします。年々その言葉も強く、重みを増していきます。「わたしはそうは思いません。」と。
「今だけが大事なので。」と付け加えて。
以上になります。
本年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。