女神に出会えるツアー
平素よりお世話になっております。高島です。
ついにNujabesがわかる年齢になったようです。
大学生のころ、ヒップホップ好きな友人に「Nujabes知らないとか道徳としてヤバい」と半ば強制的に聴かされたアルバム「Modal Soul」。ローファイヒップホップなぞ当時はピンときませんでしたが、秋風吹く2023年のいま現在。脳に、身体に、ビシビシとキテます。
「30歳超えると若干スピリチュアルとかに寄っていくよね」とよく美容師さんと喋っていますがまさしくそれで、延々と拝聴しているのが「音楽の女神に充てた手紙」のコンセプトで作られた「Luv(sic)」シリーズ。ホットワインを飲んだような気分に浸れます。
僕もオトナになった、ということでしょうか。相も変わらずタトゥーだなんだ、とせわしない生活を送っていますが。
ツアーが始まりました。初日新潟、そして二日目仙台。ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。
楽しんでいただけましたでしょうか。ブッキング等のイベントとは違い「ここにいるみなさまは我々だけを目的に、さらには遠方からも来てくれている人たちもいるのだ」と、さも当たり前のことを考えます。
少し気恥ずかしいようなところもありますが、気後れしてる場合じゃございません。みなさんの日ごろの鬱憤を成敗すべく、出来るだけハードに叩ききってやる所存。
バスドラム(大太鼓、足で演奏するバンドロゴとか入ってるアレ)は22インチというサイズが一般的です。
以前も書いたように、今アルバムでエンジニアさんからおすすめされて使ってみた26インチというバカデカバスドラムに恋に落ちて以降、インターネットの海を延々と徘徊していました。なんなら詐欺サイトまで周回し遭難しかけもしました。
大航海の甲斐あってようやっと見つけたバカデカバスドラム、今ツアーから導入しました。機材車に載せてみると想像してたよりもかなり、デカい。そして想像してた以上に音が、イカつい。
こいつで自分がどこまで成長できるか、密かな楽しみでもあります。まだ続く公演、全力でやったります。
高校生のころ、近所のTSUTAYAのレンタルコーナーにあったMUSEのアルバム「Absolution」。音楽の女神ミューズを名乗るバンドなんてなんと大そうな、と思って聴くも納得のサウンドで驚嘆したことをよく覚えている。
音楽の女神というのは本当にいるのかもしれない。
世の中を知らず、自分の存在価値も分からず、まともな音楽活動もせずに腐っていた二十代中期の話。
破滅的な思想をぶら下げた僕は他者からの信頼なぞ当然得られず、もちろん自分が何者であるか、なんて自分でもわかっていない。
イカれた思想をそのまま押し出したような奇怪な風貌も相まって、いくら音楽大学を出たとて潤沢に仕事が回ってくるはずもない。
僕が仕事というのに固執するのは、青年期に「仕事がない」「仕事さえあれば」という両親の口癖を聞いていたからで、社会で会話を許される唯一のツールを“仕事”と呼ぶのだ、と思っている。
「仕事をしてない=人に非ず」、それぐらいに考えていた。
だからとにかく働きたかった。音楽大学というリスクまで背負ったからには、もうガシガシやりまくる、そんなイメージを持っていたのにいまの現実が想像と違いすぎる。
ただ奇妙なことに、僕は一般の仕事がめちゃめちゃ出来てしまった。人間にそれぞれ一つ才があるとすれば、僕の場合は演奏でなく、作曲でなく、一般の業務。
幸か不幸か、Office系のソフトはだいたいすぐにわかったし、マクロ組んだりもわりとすんなりと出来てしまった。上席から人員の配置を褒められたりして内心とても誇らしかった。
そうはいっても音楽を辞める勇気もなく。
ただただ毎夜酒を喰らってクダを巻いてわけですが「いっこーちゃんがドラム辞めたくても、ドラムが辞めさせてくれんよ」と友人にいわれた言葉が今となっては本当になっている気がします。
当時はめちゃくちゃな飲み方をしていて駅の階段から落ちてみたり、ガラス瓶蹴っ飛ばして翌朝血だらけで目が覚めたり、そもそも目が覚めたところが見知らぬ廃ビルだったり。
折り返しの電車で寝過ごし、温泉街で目を覚ましたこともある。ロマンチックな街灯で照らされた湯気の立ち込める街並みはまるで千と千尋の神隠し。真夜中、誰一人として人の姿はない。ついにあの世に来てしまったかと錯乱した。
しかしそんな調子でも不思議とドラムを叩けないほどのケガはしなかった。
もうすでに改心済みなのでこれでも数年前ですが、一度だけ酔って腰を骨折したこともある。ついに年貢の納め時か、とひどく落ち込んでいたがドラム椅子に座ると痛みが消える、絶妙な損傷部位だった。
母曰く「死んだじいちゃんがあんたのことを守ってくれとったい」ということらしい。
その線も疑ってはいないが、やはり僕は音楽の女神に見初められている。今ではそう思いたい。
一応僕も人の子なので、ここまでしてもらったら恩返しをしたい、と当たり前に思うのです。ここまで守ってくださってありがとうございます、ビールは一日二缶だけにします、もう改心しましたので変な飲み方はしません、と強く誓って暮らしています。
そうして昨晩も四本目のビールを開けながら、なにをしたら喜んでいただけるかしら、とぼんやり考えていました。
ギターでもドラムでも、どんな楽器でも「脱力して演奏せよ」が鉄則。それがなぜかといえば「脱力して演奏した音が“良い音”」と認識・定義されているから。
ただ逆にいうと力いっぱい、無理矢理な演奏方法でないと出せない音というもの僅かながらある。僕もこの場合での良い音の出し方は熟知しているつもりでしたが、今のロックでは僕のこの「良い音」が通用しなかった。
さまざま試行錯誤を経て今日の僕のサウンドに至る訳ですが、表現方法としては整頓された絵具ではなく、その辺で拾った泥を使ったほうが秀逸な場合もあるように、敬遠されがちな悪い音・良くない音も使い方次第。
雨の日を「天気が悪い」と言い換えたりしますが、多面的にみれば一方的に「雨が“悪い”」とも言えないはず。
世の中には良い人もいれば悪い人もいて、それを総括して社会とするように、音楽にも良い音と悪い音が混ざり合っている。そうじゃない音楽もあるんだろうけど、あまり好きではない気がする。
もちろん嫌な思いはしたくないんだけど、良い人ばかりの社会は僕にとってはなんだか息苦しい。
幸い僕はドラマーなのですべてとは言わないけども、空気中に飛んでいるある程度の音はコントロールしていい権限を持っている。気持ちの良いサウンドもアンプのノイズも、誰かの咳払いさえも、すべてコントロールしてその場の究極の音楽に変える。
時間の芸術。音楽の女神さま、ここまで合ってますでしょうか。
以上となります。
それでは引き続きどうぞよろしくお願いいたします。