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結局、俺はずっと同じ話をしている。

平素よりお世話になっております。高島です。

美しいものはそのまま「美しい」と帰結してしかるべきなのに、その間にあるセオリーやロジックを見つけようとする。
音楽でいうと9thのテンションコードやⅣ→Ⅴ→Ⅵのコード進行、その他でいえば絵の写実性やその歴史的背景など。
はじまりは周囲との差別化を図るためで、偶発的な感情の動きをコントロールし、現象を証明できれば勝つる、という下心があった。

しかし、高すぎる理想か、どこかに後ろめたい気持ちがあるのか、これは単に自分の自信のなさから発生したものだと気付く。
表層まではそれでいい。音楽は時間の芸術で、当然言葉では言い表せない、説明のつかないミラクルが起きる。
故に音楽は「音楽」であって、その魔法に手を引かれてここまで歩んできた。そして今も憧れ続けている。

SNSでツイートする・ポストする。
「いいね!」など他者からのリアクションを期待している状態は、スロットマシンの出目を待っている時と同じ脳内構造らしい。
気を付けているが、「あれ、もっと”いいね!”つくと思ってたけどなぁ…」と無意識的に落ち込んでいたりすることもある。
心底、ギャンブルに手を出さなくて良かった。

唯一、自分の特筆すべき才は「考えるスピード」だ。
小学校の時に先生に言われた「口に出す前によく考えなさい」のスキルが異様に長けている。
悲しいかな、これも先述の自信のなさの裏返しでもあるし、なにより「よく考えてる」のは自分の脳内であり、あくまでシュミレーションの域を出ない。

結局、自分の思考の中には常に他者がいる。
イエズス会教育では「Men for Others」といったが、自分だって誰かにとってのOthersだ。利他的に生きるのには正直すこし飽きてきている。
理性的・クールなのは良い、ただもう少し本能的に、なにも分かっていないように生きれば、美しいものをより「美しい」と思えるかもしれない。

以上、最近のタトゥーを入れたい熱を回りくどく、つらつらと述べてみました。

それでは引き続きどうぞよろしくお願いいたします。



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