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夢が終わるとき

平素よりお世話になっております。高島です。

二十台前半の頃。池袋に居を構え、毎晩「あぁでもない、こうでもない」と考えあぐねていました。
時たま、その酒に付き合ってくれる友人たちもおり、「オレたち、27歳まで生きてねーかもなぁ」などと語らっておりましたが、何ごともなく普通に、今もこうして考えを巡らす夜を過ごせています。そのうち本当に一人居なくなってしまいましたけれども。

僕の界隈で「死ぬまでで日割りすると、今“やる”のが一番安い」という言葉があります。
先日失くしたAirPodsもそうですね。失くして数日間は「もしかしたらどっかで見つかるんじゃないか」とか、酩酊する自分に今さら落ち込んでみたり。
どう考えても見つからないのは明らかだし、不便を憂いていつかまた買うに決まってます。
「死ぬまでで日割りすると、今“やる”のが一番安い」。まったくその通りで、余計なストレスを一万円ほどで解消できました。オプションとしてApple社のホスピタリティに改めて感動することもできました。

池袋で毎晩考えていたことは外的要因を孕んだ夢、「いつかは誰か分かってくれる人が現れるだろう」ということでした。
考えていれば、悩んでいれば、生きてこそいれば。白馬に乗った王子様が迎えにきてくれるかもしれない。

その待ち時間では二日酔いで苦しむ日もあれば、AirPodsで満足に音楽聴けない日があったり、演奏が不十分で先輩にイヤミを言われる夜もありました。
故意か過失か、その先輩がタンクトップで刺青をチラチラさせるもんだから僕もまた無性に腹が立って。もう5年以上昔になりますか。

どちらを選んだって「あの時こうすればよかったなぁ」の後悔はかならずやってくるので、やりたいことは今すぐにやるべき。
だから夢とか目標とかじゃなく、一つ一つ終わらせに向かっていく方が正しいよなぁ、とよく思います。

以上になります。
それでは引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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