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優しい時代をつくる②


優しい時代をつくる。

この志の背景にある、想いの中の一つについて、今日は書いていきます。

「人間は元来、優しい生き物である。」という想いです。

そう想う理由は、僕の24年間の人生の中にあります。
僕の人生の中の優しさに関するの1ページ目は、兄についてです。

では、数分で読める内容なので、お付き合い下さい。


優しさが当たり前の中で


僕には超重度の障がいを持つ、2歳上の兄がいます。日本では障がいとして診断を受けると、国から「あなたの障がいの重さはこれくらいです。」と評価を受けます。評価をすることで、行政からのサポート内容が決まります。その評価を軸に考えると、兄は障がいのある人たちの中でもトップレベルの評価をもらっているそうです。(この評価を軸に、障がいを重いだの軽いだのと語るのは、本来は間違いですが、ここでは分かりやすくするためにそう書かせていただきます。)


国内トップレベルの彼と一緒に育った僕の環境は、ある側面においてとてもラッキーでした。それは、家の中に常に優しさがあったことです。


兄が生きるには、誰かの優しさが必要です。

兄が食べるために、着替えるために、トイレに行くために、お風呂に入るために、ケガをしないために、兄が何かをするには代わりにやってくれる誰かが必要です。


兄は喋れないので、感謝も、要求も、拒否も、はっきりとは分かりません。兄の代わりに何かをやる人は、兄の考えを想像する必要があります。


何を食べたいのかな?のどが渇いてないかな?今楽しいのかな?今眠いのかな?想像が当たるときもあれば、外れる時もあります。


兄は時々叫び続けます。家の中でも、家の外でも、夜でも、朝でも、ところ構わずです。それは何かを訴えているのかも知れませんし、そうじゃないかも知れません。今のところ、兄の叫びを止める方法は見つかっていません。


育てられた二つの感覚


兄との生活は、僕に二つのことを求めました。感謝という見返りのない奉仕と、理解できないことへの受容の2つです。


この環境のおかげで、僕の物事への見方や行動の仕方、人との付き合い方は、友人たちとは違うことが多々ありました。(違う=良いこと、ではないです。まあ悪いことでもないですが。違う=違う、それだけです。)

【感謝という見返りのない奉仕による影響】
大学時代、勉学に忙しい学生生活を友人たちが送る中、僕は学内のプロジェクト・イベントの運営に精を出していました。というのも、母校は多大な勉強量を学生に要求する良い大学である反面、あまりの忙しさから学生向けサービスがまだまだ未熟でした。サービスやシステムの未熟さから苦労している学生たち(つまり友人たち)の存在に気がついた時、彼らのためになるならという想いで、たくさんのプロジェクトを起こし関わって来ました。自分の学業が切迫しても、プロジェクトを止めることはしませんでした。友人たちには、「お金も出ないのによくやるよね」とよく言われました。その時はどうして見返りがないといけないんだろうと思い、周りの考えが理解できませんでした。大学を終えしっかり働き始めた時に、やっと友人たちの言葉の意味が分かりました。何か価値のあることをすると見返りをもらえる、僕が生きている社会はそういう社会でした。


【理解できないことへの受容による影響】
学生時代、誰にでも経験のあることだと思います。クラスに感覚の違う人がいると、その人は周りから距離を取られたりしていませんでしたか?大半のクラスメイトが、その人から距離を取る中、僕は意識的に距離を取るようなことはしませんでした。相手によっては、距離を縮めるときもあります。いま思えば、距離を取っていた大勢の人たちは、感覚の違いを理解できないが故に距離を取っていたのではないでしょうか。対して、僕の場合は、理解できないことを受け入れる素地がありました。場合によっては、理解できない感覚を楽しむこともできました。毎日家でやっていることを学校でもするだけでした。あと、強いて言えば、感覚の違いに気がつくと、すぐこの人は自閉傾向があるのかな、ADHDな感じかな、とか考えたりしていました。理解できないことを恐れないこと、逆に人間をより理解できる可能性を、また人間関係の幅を、兄は僕にくれた力だと思います。

自分が育ったこの環境がいかに特殊だったかということ、また自分が築いてきた感覚がいかに世の中からズレているのかを気がつくのは、実は割と最近のことです。彼女と婚約をしたり(ちなみに2月現在、婚約は破棄となってしまいました。。)、友人と会社をはじめたり、家族以外の人との距離が一気に縮まったことで、やっと明確になったものでした。気づかせてくれた、彼らには感謝です。ありがとう。


これが僕の人生の優しさに関する1ページ目です。
さて、それでは本題へと動きます。


優しさを知らない人々


「人間は元来、優しい生き物である。」

そう想うのには、兄がくれた環境にヒントがあります。


先ほどの例であげた、感覚の違いから距離を取ったクラスメイトたちに優しさはないのでしょうか?いーや、もちろんそんなことはありません!!とっても良い人たちもいましたし、友達に優しい人や、見ず知らずの人に優しくできる人もいました。

では、なぜ彼らは距離を取ったのか。それは優しくないからではなく、理解できないから。そして、理解できないことは受け入れられない。受け入れる術を知らないから。ただそれだけのことの様に思います。


しかし、世の中には優しさを感じられない人たちもいます。自分のことしか考えず、周囲に横柄な態度を振る舞う人たちです。

本当に彼らに優しさはないのでしょうか?僕はそうは思いません。きっと彼らは優しさの表現の仕方を知らないだけではないでしょうか?彼らの中に優しさはある。きっと彼らも自分の大切な人には、自分の方法で優しく接しているはずです。

しかし、周囲の人は彼らから優しさを感じることはできない。それは彼らの優しさの経験値が、彼らが見て来た優しさが少なかったからではないでしょうか。彼らは、どう優しくすれば良いのか分からないのではないでしょうか?

僕は優しさの中で育ちました。これはとてもラッキーなことです。両親の兄への献身的なサポートや、兄が通った個別支援級の先生方、養護学校の先生方、長年介助してくださっていた井沢さんやサポートグループのモエの方々、今彼が通っている通所施設の方々、僕はたくさんの優しさを見て来ました。

僕は自分自身のことを特別優しい人間だとは思いません。まだまだ未熟です。しかし、誰かへ優しさを届けることが、どれだけ素敵なことかを知っています。優しい人への尊敬や憧れ、優しくありたいという想いは、人一倍強いです。

だからこそ、優しい時代をつくりたい。


もっと多くの人に、優しさの大切さを知ってほしい。色んな優しさがあることを知ってほしい。そう思うのです。


終わりに

優しさって大事だよなあ、って本気で言える人たちが社会に溢れた時、社会の形や人々の行動、働き方、様々なものが変わっていくのではないでしょうか?そして、今が変われば、未来も変わる。優しさを大事にする大人たちを見て、子供たちは育ちます。優しくあることは、目の前の人を大事にすることだけでなく、未来の社会への投資でもあります。優しさは回るはずです。

人は皆、優しさを持っていると僕は信じます。
そして、優しさを今よりも大事にする時代が来ることを信じます。

そんな時代を想像すると、ちょっとワクワクします。



さて、今日もまずは目の前の人を大事にすることから始めて行きます。
今できることを、少しずつ。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

それではまた。

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