アサナロジー/アサナの歴史的考察 Vol.1
アサナロジー/アサナの歴史的考察 Vol.1
– 幾何学的秩序に従い構築された –
アサナロジー/アサナ学の第二回目となる今回は、アサナの歴史や背景、その成り立ちを探り考察し、アサナの本質を探りゆきたいと思います。
以下よりどうぞ。
本文
まずはアサナの始まりから考察していこう。そのことはヨガの始まりとゆうことでもあり、ヨガの発祥の証拠が残っている地として、紀元前5,000年頃のインダス文明、モヘンジョダロ遺跡が挙げられる。
そこで見つかったアサナの証拠としては、ヨギがヨガの座位アサナであるバッダコナアサナを組み瞑想しているレリーフが石板に掘られた物が出土している。しかしながら、それは現在の様な運動の側面を持つアサナ主体のヨガの在り方ではなく、瞑想の為の座り方という範疇を越えるものではない。
紀元前300年ごろ、古代ギリシャの都市マケドニアのアレクサンダー大王はインドに遠征の際、『奇妙な形を取る者たち、片手を上げたままの者たちを見た』と手記の中に記しており、恐らく其のことは、強烈な神への信仰を基にした身体的で献身的なタパス(苦行)のことであり、現在においても極僅かな修行者の中に見られる慣行である。
また、紀元前5世紀に生きた釈迦も様々な身体的なテクニックを試していたとされているのであるが、一部の古典仏教テキストではそれらの身体操作の修行の在り方を否定している。しかし、他の古典仏教のテキストにおいては、それらが自己探究の道を推し進めるものであると言及しているものもある。
その時代、仏教の開祖である釈迦も、ジャイナ教の開祖であるヴァルダマナ・マハヴィーラも、ヨガを用いて悟りを得て仏陀になっており、紛れもなく彼らはヨギなのである。
ヨガスートラに記されたアサナ
随分と時は流れた5世紀ごろ、ヨガの根本経典である聖パタンジャリのヨガスートラ経典の中でのアサナについての言及においても、第2章の46節から49節までの4節のみに留まっており、アサナの具体的な取り方についての説明に関しては、一言も言及されてはいない。
なぜならば、この時代においても『ヨガ=瞑想』の時代であり、アサナとは、瞑想を達成する為の座りポーズという概念でしかなかったのである。
また、ヨガスートラはヴェーダ聖典を源とした正当インド六派哲学のヨガ派の根本経典であり、謂わば古代インド社会におけるハイアラキーの中で、特権のブラミン階級で育まれてきたものであり、それは知的エリート集団のものと呼べるものである。
実のところ、そのような特権階級とは別の処、インドの平民以下の階級の中で、アサナは育まれ進化していったのである。
インド宗教、大衆化、タントラ化の流れ
5世紀後より、ヴェーダ経典を源とする支配階級の独占物であったブラフマイズムは大衆化、ヒンドゥー教へと変わり行く中、同じく上座仏教も大衆化。大乗仏教へと変わり、その後は中期仏教密教へとその主軸を移していったのである
その後の8世紀頃からは、大衆化、すなわち、タントラ化(密教化)はますます盛んになり、様々な民間信仰・呪術を取り入れ、伝統的な教義を反転・再編成し『男性原理と女性原理の合一を目指すというタントラ(密教)の教義』を掲げ、全ての宗教がタントラ化していったのである。
経典秘密集会タントラ
さて、ここで西洋的なタントラのメインの解釈として考えられている、性的な意味でのタントラのテキストを一つ取り上げ解説するものとする。
それは、後期仏蜜の代表的な経典、8世紀に現出した『秘密集会タントラ』である。
現在のチベット密教においても、法王ダライラマ14世の所属する最大派閥であるゲルク派の権威書である経典でありはするのだが、その驚きの内容は、それまでの厳粛であった仏教経典のそれとは真逆、反転、教義がまったく裏返っており、倫理道徳観は皆無であり、性的な描写も多く、ありとあらゆる煩悩を謳歌させることこそ悟りへの道(左道)と説いているのである。
その事については、森羅万象の真実ではあるにせよ、宇宙の法であるダルマの叡智の光に照らし合わせて観るならば、仏教の教えに照らして観たならば、それらのことは、単なる『方便』(例え)であり、実際に左道的(非倫理道徳的な行いや性的修練法など)に修練を行うこと、陥ることとは、自己探求者の道「として、邪道も邪道、寓者の道なのである。
なぜならば、ヨガスートラに示されている様に、性欲などのありとあらゆる欲は自己探求者にとって、少なくとも中庸以下にコントロールするべき対象であるにも関わらず、自身の欲を煽り、快楽に溺れ堕ちるその行いは、光無く無明でしか無く、正しく寓の骨頂なのである。
そのことから、チベット密教の中においては、当時より厳戒な倫理道徳の規律が轢かれ、左道タントラ経典を文面そのままに行うことは、固く禁じられていたのである。
左道タントラ経典の類いは他の経典と比較して、その抽象度は非常に高く、解読に於いて難解極まり無いものであり、その名の通りの『秘密の仏教』であるが故に、書かれてある左道的な表現に、叡智の光と洞察の目を向けて、その非道徳的な行いや、エロスや蛮行愚行の裏に潜む『秘密の真理』を読み取らねばならない。
謂わば、精神性と知的レベルの高い賢者だけが理解できる、または修練に次ぐ修練の中で直感的に感知理解する、シークレットノリッジなのである。
その秘密のベールに覆われた、裏に隠された真実の教義の内容を私が注訳するならば以下の様になる。
この経典、秘密集会タントラに書かれている教義の裏返った表現としては、『大宇宙の形をマハムドラー(大身印)として女性を立て、その印契と、修行者自身の印契を性行為という形式で重ね合わせ合一し、悟りを得る』というものであるが、
そのことは、秘密の教え(タントラ)であることから、あくまでも表向きの方便であり、この経典の言わんとしている裏に隠された真実の教義とは、
『修行者の身語心の三業と、仏の身語心の三業とを重ね合わせ合一させ、悟りを得る為の行』
を解いているのであり、そのことを熟知するチベット密教の修行においては、厳粛な戒が敷かれ、実際に性行為などないのである。以下にその、秘密の奥義である修行法についての詳細を解説しておこうと思う。
まず、修行者が合一するべき、身語心の三業とは、それぞれ、身(身体ヤントラ。身体印相、アサナ、手印相、ムドラ)、語(真言、マントラ)、心(ココロ、思考)のことを現しており、
それらの三つの業を自身の明瞭なる意識の下で、基準となる仏の印相(ヤントラ、曼荼羅)と同じになる様に一つにし、仏との合一化を図るということなのであり、
それは、経典にか書かれてある字面通りの左道的なセックスヨガの修練を説いているのではなく、そのことは、秘密の教典であるのだから、その裏に隠された真理の修練を行じなさい。という尊い教えなのである。
またそのことは、完成された日本の中期仏蜜、弘法大師空海による真言宗の奥義である教義、身口意の三密(タントラ経典でいうところの身語心の三業)と何ら全く変わることのない、真実の教義なのである。
宇宙の印である曼荼羅(ヤントラ/幾何学)を源とする、手の印であるムドラに関しては、仏蜜の中期タントリックの中においては、既に発展、開花されており、後は体の印であるアサナの発展を待つのみなのであった。
11世紀ハタヨガ経典の初現出
そのタントリックな時代の流れの中でアサナが発展したのは、11世紀のインド南デカンのマンガロールにて。
左道的では無い厳粛で禁欲的な宗教的慣行をバックボーンに持つ、ヴァジュラヤナ・タントリック・ブディズム(金剛乗仏密教)から、初のハタヨガ経典が現出することになる。
その輝かしい初のハタヨガ経典とは、
11世紀・アムルタシッディ
”Amṛtasiddhi” と、
12世紀・アマロハプラボーダ
”Amaraughaprabodha”である 。
それ以前にも身体的修行法を行っていたヨギはいたはずなのであるが、禁欲的な伝統の中で全ては口頭で伝えられてきていたことから、テキストが残されていないのであり、したがって11世紀のアムルタシッディが最初のハタヨガのテキストとなる。
また現代日本のハタヨガ研究においては、ほとんど知られていないことではあるが、ハタヨガのメインラインの系譜であると考えられている、シャイヴァーセクト/シヴァ派のゴラクシャナートのナート・サムプラダーヤ/”Näth sampradäya”が、ハタヨガの源と考えられているのであるが、
実のところそうではなく、11-15世紀のこの時代のインドにおいては、様々な宗教や文化においてハタヨガは宗教的な流行として浸透していたのである。そして、様々な解釈と実践理論が用いられ体系化されてハタヨガ経典が書かれ、後の17世紀にはスヴァラトラーマハタヨガプラティピカのようにオムニバス形式(寄せ集め)でまとめられられることになって行ったのである。
以下より、初期のハタヨガテキストを用いて、その中で行われていたアサナや解脱への自己探究の道がどのように成されていたのかを観てみることにしよう。
11世紀のアムルタシッディの修練内容
このアムルタシッディというハタヨガ経典は男性の禁欲的な修行者であるヨギを対象として書かれており、「身体、言葉、心」のコントロールを行い、ヘソに在る太陽と頭の中にある月とを結合させ自己探究の道として解脱を目指すのである。
脳内の松果体に在る(月)とされるアムルタ(不死の甘露)をビンドゥ(精液)と同一視しており、それらを以下の呼吸やアサナ、バンダ(堰き止め)の修練を用いてプラナ(エネルギー)の流れを制御していくのである。
メインのアサナとプラナヤマを用いた修練は以下の3つである。
1、マハムドラ : ジャニュシルシャーサナ(座位の片足前屈)を行う際、曲げた方の脚の踵を会陰に当て、背筋を伸ばしながら顎を引きジャランダラバンダで吸気後にクンバカ(保気)して、プラナを活性化させる。
2、マハバンダ : プラナの流れを堰き止め、エネルギーラインを変える行法。(ジャランダラバンダ)
3、マハヴェーダ :アサナを取り自身で身体を持ち上げ、落とすことで、スシュムナーにプラナを入れる行法。
心身の病や乱れはプラクティ(自然)の3つのグナ(物質の3本質)から生じ、ドーシャ(3つの体質)として人に現れているのだが、上記の3つの身体操作を伴った修練を3時間ごとに用いてヨーギはプラナ(生命エネルギー)の制御を行い、中芯のナディー(プラナの通り道)であるスシュムナー菅をプラナが上昇するように流れを逆転させ、体内にある3つのグランティ(結節)をブチ抜き太陽は脳内の月と融合することによりビンドゥが活性化され、病気を克服し、サマディ(悟り)に達して解脱する。その解脱はジーヴァンムクティー(生きたままの解脱)であり、生きたまま今世での解脱を意味している。
面白い表現としては、プラナを活性化させ頭部に登らせるという身体的な修練を練金術に見立てて解説しているところである。
実のところ、様々な金属を火にかけ化学反応を促して金を取り出すという錬金術という技は、仏教密教において秘蜜の奥義であり、
日本の密教の祖である空海も錬金術を極めていたとされている。その証拠として空海が高野山を選出した1番の理由が練金を行う際に不可欠となる水銀が豊富に採掘できる土地であったことが挙げられるであろう。
さて、以下より11-15世紀にかけての現存する20種のハタヨガの経典を、その由来と共に掲示するものとする。
初期11世紀から15世紀までのハタヨガテキスト
1. アムルタシッディ/Amrtasiddhi
11世紀、著者 : マダヴァカンドラ/Madhavacandra、仏蜜教由来
2.ヴァシスタサンヒタ/ Vasisthasamhitä
ヴェーディック・ヴァイシュナヴァ・タントリック(密教ヴィシュヌ派ヴェーダンタ学派由来)
3.アマロハプラボーダ/ Amaraughaprabodha
12世紀、南デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
4. ダッターテレヤヨガシャストラ/Dattätreyayogasästra
ヴァイシュナヴァ・タントリック由来(非ヴェーダ・ヴィシュヌ派密教由来)
5.ヴィーヴェカマールタンダ/ Vivekamärtanda
北デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
6.ゴラクシャサタカ/ Goraksasataka
北デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
7. ケーチャリーヴィッディヤ/Khecarividya
南デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
8. ヨガビジャ/Yogabija
北デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
9. シヴァサンヒタ/Sivasamhita
クリヤヨガ(浄化ヨガ)を主とした経典、シュリヴィッディヤ派のヴェーダンタ学派由来
10.アパロクサーヌビューティ/Aparoksänubhüti
アドヴァイタヴェーダンタ(不二一元論のヴェーダンタ学派由来)
12.ティルマンチラム/Tirumantiram
南インド、シュリヴィッディヤ派のヴェーダンタ学派由来
13.パムパーマーハートミヤ/Pampämähätmya
シャイヴァー由来
14. ゴラクサヨガシャストラ/Goraksayogasastra
南デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
15. ジニャネスヴァリ/Jnanesvari
北デカン、パスチマナヤ・カウラス派由来
16.サールンガダラパッダティ/Särngadharapaddhati
シャイヴァー由来
17. アナンダカンダ/Anandakanda
コブラ使いと練金術師由来
18. シヴァヨガプラティピカ/Sivayogapradipikà
シャイヴァー由来
19. ヘマカンドラズヨガシャストラ/Hemacandra’s Yogasástra
ジャイナ教由来
20. アマラーワーサナ/Amaraughaäsana
インド北西部、パスチマナヤ・カウラス派由来
上記の様に11世紀〜15世紀のインドにおいては様々な宗教のタントラを母体としてハタヨガは進化、発展し、後においてシャイヴァー/ナートプラダーヤ(密教シヴァ派のナート派)にまとめられ統括されることになる。
また、シャイヴァーの形成には、様々な系統が関与しており、仏密教からインド正統派のヴェーダンタ由来、ヴィシュヌ神の派閥由来、ジャイナ教由来、火葬場に住むものから蛇使いに至るまでのタントリックなものたちによる、それは、当時のインドにおける全ての宗教宗派の中での大衆的なタントリックな解脱文化といえよう。
では上記のハタヨガ経典では、どのような概念があり、修練が行われていたのかのを以下に掲示するものとする。
当時のハタヨガの概念やその修練方法
・ヤントラや曼荼羅:宇宙摂理のエネルギーを現す幾何的図形。
・マントラ:有声、無声でお経、真言を暗唱する。
・アサナやムドラ:プラナやチッタ(思考や感情)を制御する体印や手印、身体や手のポーズ。
・ビンドゥ:精液コントロール。
・クリヤ : 心身の浄化法。
・ナディー:身体内にあるプラナの通り道。
・チャクラ:身体内外にあるとされる円盤形のプラナのプラットフォーム。
・ニャサ:マントラを唱えながら身体に触る、マントラを書いた紙を身体に貼り付けたり、身体に書きこむ。
・プラヤシッタ:自身の悪行を悔い改め苦行などで償う。
・プラナヤマ:アサナ、体と心のエネルギーのバランスを整えるために用いる。
・ナーダヌサダナム:ヨガの瞑想中に生じる内なる音(ナーダ)に集中し体内でどの音を聞くかに応じて、自身の自己探求の道のどの段階に居るのかを測るための道標。
・イシュヴァラプラディナーダ:元々は神への祈念とされていたが、ハタヨガにおいてのそれは、自身を神に見立て神との合一化を図る手法として用いられることになる。
・ディヤナ:瞑想の実践も常に組み込まれていた。
これらの興味深い行法を取り込み体系化していったシャイヴァイズムの中では、チャクラやシュスムナーはヨギの求道者にヴィジュアライゼイション(視覚化)されなければならないものであるということ。
チャクラは下の粗雑なものから上に上がるに従い、高尚なものになり、瞑想や身体的な修練の中で視覚化されなければならないものである。それは創造のプロセスの逆行であり、古典インドの自己探究者の伝統の中にみられる視覚化ベースの手法であり、それはアムルタシッディから始まった伝統である。
そしてこれらは、様々な宗教における解脱システムの伝統が混ざり合わさって、発展したものである。
聖ゴラクシャナートについて
聖ゴラクシャは当時、民衆より大人気を得ていたタントリッックヨギである。
彼はシャイヴァーセクト/シヴァ派のナート・サムプラダーヤ/”Näth sampradäya”の長であり、ハタヨガ経典の著作としては、ゴラクシャタカ、ゴラクシャパダティ(画像参照)、ゴラクシャサンヒタの三作が現存している。
ゴラクシャタカは、他のハタヨガ経典と同じく、11世紀のアムルタシッディ/”Amṛtasiddhi” と、12世紀のアマロハプラポーダの影響を多大に受けており、多数の引用、教義の書き換えが観られる。
そこにはアサナ、ムドラ、ナディ、パンダ、グランティの概念が体系化されている。しかしながら具体的なアサナについての言及は四例のみに留まっている。
目新しいところでは、チャクラの概念が初めて挿入され、クンダリーニの概念が加わり、シャイヴァー派の中心教義となるラヤヨガ(クンダリーニヨガ)がこれより産まれたのである。
しかしながら、前出の聖ゴラクシャの冠が付いた、ゴラクシャタントラという経典があるのだが、その内容は、左道的な記載が多く、それは、ゴラクシャの著作では無く、全くの紛い物。であるという私の見解なのである。
なぜならば、左道に落ちた師匠のマッヅェンドラナートの目を覚させ、自己探求の正道に連れ戻したゴラクシャナートのエピソードが残されているからである。
また、前出のハタヨガ経典である、ゴラクシャタカはバクティヨガを源しており、ゴラクシャパダティはヨガスートラを、その教義の源として展開されたものであるが故、
その両方の源共に、厳格なヤマニヤマ(倫理道徳観)の礎の上に展開された教義であり、それらの事実からして、左道に堕ちることを嫌味毛嫌いしていた聖ゴラクシャが、その左道の土壺に堕ちる筈も無く、その様なものを書き残す筈も無いのである。
余談ではあるが、日本の歴史に於いて、求道者が左道に振り切った例として、江戸に出現した真言立川流が挙げられる。教義の曲解極まり、強欲に塗れエロス限りを尽くし、とどのつまり、徳川幕府からの取締りを受け壊滅。中期仏密として日本にて気高き完成を遂げた弘法大師空海の真言宗、唯一の汚点として歴史に刻まれただけなのである。
歴史上に於いて、タントラやハタヨガの枠内に於いて、左道タントラ経典に書かれてあるそのままを真に受けた愚者達により、倫理道徳観無き蛮行愚行や性的修練が行われてきた事実もあったという事は記しておこう。
15世紀以降のハタヨガ
8世紀より侵略が始まり、16世紀には、歴史に於いて常にインド経済の主となる北インドをイスラム教勢力であったムガール王朝により完全制圧されると共に、偶像崇拝を禁止するイスラムの教義の下、ヒンドゥ教や仏密寺院は破壊され、ヒンドゥ、仏教共に密教を母体したハタヨガも宗教弾圧を受け、謂わば細々と活動を続けるに至り、
それでも、16〜17世紀頃にはハタヨガ経典のオムニバス的な集大成のテキストである、スヴァートマーラーによるハタヨガプラティピカ(アサナ15種)、ゲーランダサンヒタ(アサナ32種)の出現を観るのである。
倫理道徳観についてのヤマニヤマについては、ハタヨガプラティピカーには厳格な戒が規定されており、ゲーランダサンヒタには規定されてはいない。また、ハタヨガの本質とは、ヤントラ(幾何)であるという点については、先代の聖ゴラクシャの経典と同じく、これら全ての経典からも読み取ることができるのである。
しかし、最終的には15 世紀以降インド全土に爆発的な人気を持ち民間に広まった信仰形態である、ヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ派)のクリシュナ信仰を背景としたバガヴァッドギータを源としたバクティー信仰により、影を潜めてしまう。
それは、一神教であるイスラム教徒のムガール帝国支配の形態によく適応していたのではないかと考察されるものである。
そして、シャイヴァータントラ(シヴァタントラ派)は、シャイヴァー修行者の間で依然として重要な実践であり、北デカンのラジャスタン州のナート派、南インドのシュリ・ヴィディヤ派の伝統、ベンガルのバウル派など、特定の地域に名残を残すものとなる。
そして、その後の18世紀中盤から19 世紀半ば迄の100年間のイギリスによる植民地支配を経て、20世紀まで、インド国内でのハタヨガの発展はほぼ、絶滅を迎える文化的な暗黒時代を観るのである。
次回、アサナロジー/アサナの歴史的考察 Vol.2につづく
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坂東イッキ