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神無月の氏神様参拝で感じたこと。

一輝はよく氏神様へ参拝に行っているんですね。
この記事を書いている朝にも参拝してきたのですが、


今は「神無月」なんですよね。
 

だからなのか?不思議なことに境内全体がガランとした雰囲気でシーーーーンと静まり返っていたんです。

 
「あーー、いらっしゃらないんだなぁ」
 
 
と感じながら拝殿前へ向かうと…
 

なんか「繋がってる」感じがしたんです。それは、見えない長いトンネルのようなものではるか向こう側の出雲という国に。
 

その時に思ったのは、離れたと思うのも繋がってると思うのも本当に自分の捉え方次第だということでした。それはどちらが良いとか悪いとかではなく、です。
 
 
遠いとか近いとかそう感じるのも全部思い込みなだけで、離れても繋がってても遠くても近くてもどちらでも「ある」には変わらないんですよね。
 
 
繋がりたいと思えば繋がれる。
離れたいと思えば離れられる。
 
 
忘れない限りその存在は「ある」なんです。


「離れた」「遠い」が「寂しい」と感じたり「無くなった」と感じるときにその存在は「ある」を思い出せると、また世界が変わって見えると思います。
 
 
そして、実は一輝の中には神無月は神様がいらっしゃらないので参拝する意味が無いと思っていたところがあったのですが、それでも行ってみて良かったです。

その氣付きがあるからこそ、神様が帰ってこられた時に良い状態でいてもらえるために、神無月の間も参拝をしていきたいとも思いました。
 
 
最後までお読みくださってどうもありがとうございました。

一輝


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