どのようにテクノと出会ったか(4)電気グルーヴとケン・イシイ
前回の記事では、
高校3年の冬休みまでに
買ってよく聴いていた
CD を紹介しました。
前の記事にも書きましたが、
私のテクノ遍歴において、
テクノポップのガイド本
『テクノ・ポップ/エレポップ』
という本に
「出合う前」と
「出合って以降」で
大きく違います。
私のテクノ遍歴を
振り返るうえで、
もう一つ重要なのが
『FUTURE TRACKS』
という音楽番組です。
▼番組が監修したコンピレーション
『FUTURE TRACKS』は、
'98~'02年頃に放送されていた
テレビ朝日系の深夜番組で、
この番組では、
おもにクラブミュージックを
中心とした音楽を紹介していました。
私はこの番組を最初から
観ていたわけではなく、
たまたま'00年の秋頃に
「テクノ特集」があって、
そこから毎週番組を
観るようになったんですよね。
私がどうやって、
この「テクノ特集」に
気づいたかというと、
当時の私はまだまだ
テレビが大好きなテレビっ子
だったので、
毎週、欠かさずに
テレビの情報誌も
チェックしていたんです。
その雑誌のテレビ欄で
たまたま「テクノ」
というワードを見かけて、
この番組の存在を知りました。
インターネットが一般的な
時代ではなかったので、
情報に対する貪欲さが
ハンパではなかったんですよ。
「テクノ」のことを知りたくても、
周りに知っている人は皆無でしたから、
常に自分でアンテナを張っていないと、
何も情報は入ってきません。
ですから、あの時、
私がテレビ欄で「テクノ」
というワードを見逃していたら、
私の音楽遍歴も
また違ったものに
なっていたでしょう。
ここでこんな風に
「テクノ」について、
語ることすら
できなかったかもしれません。
とにかく『FUTURE TRACKS』
という番組には、
たくさんのアーティストや
音楽を教えてもらいました。
中でも、当時から
海外でも活躍していた
インディーズのアーティストや、
まだ日本ではそれほど、
火が着いてなかった、
新しいジャンルも
いち早く知ることができたのです。
はじめて観た
「テクノ特集」で、
電気グルーヴの動向を知ることが
できたのは大きかったですね。
なんせ、中学生の頃から
電気グルーヴを知ってはいましたが、
前の記事でも書いたように、
その頃は「テクノ」なんていう
言葉を知っていたか、
定かではありませんし、
電気グルーヴが、
テクノのアーティストだと
知ったのは、
YMO のリミックスアルバムの
ライナーノーツがきっかけでした。
この時代の電気グルーヴは、
『WIRE』という
日本最大級のテクノイベントを
主宰しており、
はじめて観た
『FUTURE TRACKS』でも
その模様がレポートされていました。
▼『WIRE00』のコンピレーション
そのライブがすごくかっこよかったんです。
なんせ、私の中では
電気グルーヴのイメージは
『Shangri-La』の頃で、
止まっていたので、
「そうか、電気グルーヴは、
今、こんな感じになってるんだ」
と、非常に興味を持ちました。
それと、ケン・イシイを
しっかり認識できたのも
大きかったですね。
前の記事でも書きましたが、
私がはじめてケン・イシイの
名前を認識したのは、
細野晴臣の『JADO』
という曲のリミックス盤でした。
『FUTURE TRACKS』を観るまでは、
ケン・イシイの顔も
知らなかったくらいで、
はじめてケン・イシイを
観た時は、衝撃的でした。
いや、別に見た目は
普通の人なんですが、
ケン・イシイに関しては、
なんだかテクノ界隈では、
伝説の人という感じもあったので、
彼が動く映像を観ただけで、
かなり衝撃的だったんですよね。
そんな『FUTURE TRACKS』の
影響もあって、
10代の終わりから
20代の前半にかけて、
電気グルーヴや
ケン・イシイの作品は、
私にとって、テクノの
マストアイテムとなり、
よく聴き込んだものです。
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