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身内に対して厳しくなるのは

実際のところは
わからないのですが、
たぶん、周囲の人は私に対して

「おとなしくて優しい人」
という印象を持っていることが
多い気がします。

人から言われたことも
ありますし、

たしかに自分でも、
うるさいのが苦手ですし、
極力、優しくありたいとは
思っています。

しかし、私に近しい人は、
それが違うことも
よく知っているでしょう。

自分自身でも、身内に対しては、
厳しい面もあると思っています。

一方であまり近しい人間
ではない場合は、
極力、優しく接しています。

このことについて、
なぜなのかなと考えてみたのです。

たぶん、それは直接的な
利害関係があるか、
ないかの違いではないか、
という結論に達しました。

これって、誰でも
当てはまるような
気もしたんですよね。

たぶん、日本人は基本的に
控えめで出しゃばるのが
得意な方ではないと
思うんですが、

困っている人がいると、
「助けてあげたい」
みたいな気持ちが強い人が
多いような気がするんです。

別に、そこに見返りをもとめて、
そうするわけではない
と思うんですが、

基本的に私もそうです。

道端で知らない人に
道を聞かれたら、
丁寧に教えますし、

先日など、よその土地から
来たと思われる老夫婦が、
地元の商店街を見て、

「ここは飲食店が多いのね」
「本当だね、お店が並んでいるね」

というような会話をしていたので、

ついつい
「ここは○○商店街って言うんです」
と紹介までしてしまいました(笑)

別に、その老夫婦は
困っていたわけではないですが、
なんとなく40年も地元にいる
市民として、

紹介したい気持ちになりましたし、

あまつさえ、
私がそう言ったことによって
「いい町だったなぁ」
と思ってほしいとすら思いました。

でも、その老夫婦とは
二度と会うことはないでしょうね。

その場限りの関係だから、
自分はただの「良き市民」として、
立ち振る舞えるのです。

これがずっと一緒に
暮らす家族だったら、
ずっと一緒に仕事をする
同僚だったら、

こうはいきません。

私はよく妻に
「猫をかぶる」と言われます。

本当はそんなに
「いい人」ではないのに、
「いい人」であるかのような
振る舞いをすると。

この言葉はたしかに、
私をよく表わしています。

初対面の人や、
今後、ほとんど付き合いが
ないであろう人には、
「悪い自分」は出しません。

出す必要もないからです。

それでは、近しい人には、
なぜ「悪い自分」が
出てしまうのかと言うと、

それはそれも本来の自分だからです。

いくら取り繕ってみても、
ずっと一緒にいれば、
24時間「いい自分」を
演じることはできないですよね。

そういう甘えもあって、
近しい人には厳しいことを
いう時もあります。

言い訳っぽいですが、
これは「お互い様」な面も
あるんです。

相手も「悪い自分」を出すし、
自分も「悪い自分」を出します。

その中で、さすがに
そこまで甘えられると、
こっちも困るから!

という時に、厳しい言い方を
してしまうことは
あるんですね。

昔は、こういうことが
恥ずかしい気がしました。

外では「いい人」のように
振る舞っているのに、
身内にはあまり
「いい人」ではないことを。

しかし、ここ数年で
考えが変わりました。

「完璧な人間」
なんてありえないので、

誰もがこういう部分が
あるのではないか、
という気がしてきたのです。

やっぱり、直接的な
利害関係があると、
(親子とか、夫婦とか)

なんでもかんでも
優しくなれない場合があるでしょう。

むしろ、その優しさが
相手にとって「害」になる
可能性すらあります。

今のところ、
我が家の夫婦関係は、
「持ちつ持たれつ」で
厳し過ぎず、甘過ぎず、

(ちょっとお互いに
 甘い場合も多いけど)

いい感じに来ているなぁ、
と思ったりもします。

そう思えるのも、
妻のおかげですかね。

私はいたって「普通」で
いるつもりです。

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