『浜の朝日の噓つきどもと』は映像もおもしろい!
昨日観てきた映画の
レビューを書きましたが、
伝えきれなかったこともあるので、
少し書き足したいと思います。
note で投稿している
映画レビューですが、
どうしても「みんなに伝わるように」
と思うと、マニアックなところは
削らざるをえません。
特に、まだそんなに観られていない
と思われる新作映画を取り上げる場合、
ストーリーのことを中心に書いた方が、
興味を持ってもらえそうな気がするので、
そのように書いています。
でも、本当は、
私は映画を観る時に、
ストーリーはあまり重視していません。
どちらかというと、
映像そのもののおもしろさを感じたくて
映画を観ているので、
本当はもっと映像のことが
書きたいんですよね。
『浜の朝日の嘘つきどもと』は、
その点においても
素晴らしい作品でした。
そもそも昨年放送された
ドラマ版も映像が良かったのですが、
映画版は映画版で、
しっかり映画サイズに合わせた
映像になっているなぁ
と感心させられました。
(プロならば当たり前なのか(^^;)
タナダユキ監督の作品は、
はじめて観たのですが、
この感じだと、
他の作品もどんな感じなのか、
すごく気になってしまいますね。
観はじめて、すぐに気付いたのは、
画面を広く使うなぁ
というところです。
最初のシーンでは、
朝日座の支配人(柳家喬太郎)と
あさひ(高畑充希)の
やりとりのシーンがあるんですよね。
支配人が映画のフィルムを
燃やしているところに、
あさひがやってきて、
慌てて止めるシーンです。
普通の映画だったら、
二人の登場人物がいるシーンは、
二人の間隔を詰めると思うんですが、
この映画では、二人の役者さんの間に
結構な距離をとっていました。
おおげさではなく、
スクリーンの両端に
それぞれの人物がいるような構図で、
画面の中央に大きな空間があるんです。
斬新なカットだなぁと思いました。
あさひと茉莉子先生(大久保佳代子)の
シーンもそうです。
二人がはじめて対峙するシーンは、
学校の屋上のシーンなんですが、
あさひが屋上から下を見つめていたところに、
茉莉子先生が下の梯子から
登ってきます。
ところがですよ。
なかなか茉莉子先生が
上に上がってこないんです。
スクリーンの左端の下の方に、
茉莉子先生がいて、
スクリーンの中央あたりにいる
あさひと、しばらくやりとりするんですよ。
普通だったら、あのシーンは、
すぐに先生が上に上がってきて、
「早まるな!」とかいうところです。
あの距離感というか、
間の取り方が、
あさひと茉莉子先生の関係を
よく表わしていたと思います。
茉莉子先生が屋上に
上がってきてからも、
画面の空間の取り方が
特徴的でした。
人物をあまり大きく映さずに、
周囲の空の部分を多めに入れて、
広い空間を作っているイメージでした。
そんな感じで画面に
スペースを広めにとって、
演技の方はゆったり見せていく感じが
印象的でしたね。
画面がコロコロ切り替わる感じでは
ありませんでした。
カメラの視点は引いた感じで、
人物を小さめに収めたうえで、
ゆったりとした間合いの演技、
という感じなんですよ。
それでいて、映画にしては、
人物のバストショットが
多めに感じました。
バストショットというのは、
画面の中に役者さんの
胸から上を入れる構図です。
この構図だと割と、
役者さんの顔が
スクリーンに大きめに映ります。
テレビドラマなんかでは、
役者さんのアップのシーンが多いんですが、
映画ではあんまりこの構図を入れません。
ドラマと映画にこのような差があるのは、
テレビ画面のサイズと
劇場のスクリーンサイズの
使いわけですね。
では、なぜ本作には
映画ではあまり多く見られない
バストショットが
多めに使われているのでしょうか。
それはおそらく、
先ほども書いた通り、
本作は遠目に引いた画面が多く、
画面の中のスペースを強調したカットが
多いからだと思うんです。
遠目の引いた画面ばかりだと、
退屈に感じそうなところですが、
敢えて、人物の顔が大きめに映る、
バストショットを挟むことによって、
メリハリをつけているんですね。
こういうメリハリの付け方もあるんですね。
個人的には新しい発見でした。
それと、この映画は、
登場人物がそんなに多くないんです。
登場人物が少ないと、
こじんまりとした印象に
なりがちなところですが、
本作に関しては、
とにかく演技が素晴らしい
役者さんばかりで、
充分に見応えがありました。
主演の高畑充希は、
私がもっとも推している女優さんなので、
個人的な好みも入ってしまいますが、
とにかく演技が達者です。
彼女は役によって、
雰囲気がものすごく変わる
カメレオン女優だと思うんですが、
本作でもその才能は
遺憾なく発揮されていました。
この映画では、現在と過去の
二つのパートで構成されているのですが、
彼女が演じる、あさひの役どころというのが、
また大変なんですよ。
なぜならば、一つの作品の中で、
学生時代と今の時代を
演じ分けなければならないからです。
学生時代のシーンも
「回想シーン」というほど、
短いシーンではなく、
全体の半分くらいを占めています。
20代後半にして、
10代の役をやっても違和感がないのは、
彼女のルックスによるところも大きいですし、
本人がパンフレットでも述べているように、
衣装やメイクの恩恵もありますね。
しかしながら、
本作の主人公・あさひは、
二人いるといっても過言ではありません。
それくらい、学生時代と大人時代の
キャラクターにギャップがあるんです。
学生時代の彼女は、
家庭の事情で、
地元を離れなければならなくなった
不安げな少女です。
一方で、映画館の再建にやってきた
今の彼女は、口が悪い勝気な女性
という印象です。
この二つの異なる性格を
同一人物として演じるには、
かなりの演技力が必要でしょう。
そんな難しい二つの役を
違和感なく演じられるのは、
やはり、彼女の演技力があってこその
たまものなのです。
そして、主演だけが素晴らしいのではありません。
脇を固める役者さんたちも
本当に素晴らしい方ばかりでした。
特に、あさひの恩師である
茉莉子先生を演じた
オアシズの大久保さんが
すごかったです。
彼女の芝居を観たのは、
これがはじめてだったのですが、
(若かりし頃のオアシズのコントは
観たことがある)
普通にうまいなぁと思いました。
茉莉子先生もなかなか難しい役どころで、
教師なんだけど、あさひとは
友達のような感覚で接する人です。
あまり先生っぽすぎると、
あさひとの距離感が出てしまいますし、
フレンドリー過ぎても、
今度は先生に見えなくなってしまいます。
付かず離れずのさじ加減が絶妙でしたね。
あと、茉莉子先生は、
男にだらしなくて、
すぐにフラれてしまうという設定も
バラエティー番組で見られる
大久保さんのキャラにすごく合っていました。
高畑充希も大久保さんも
役柄にすごく合っていたので、
もしかすると「脚本は当て書きか?」
と思ったのですが、
実際には脚本ができてからの
オファーだったそうです。
※当て書き
=演じる役者さんを想定して本を書くこと
とはいえ、監督の中では、
脚本を手掛けていた頃から、
少なくとも主演の高畑充希に関しては、
頭の片隅にあったようです。
それにしても、
これほど役にバッチリハマる脚本も
なかなかないだろうなぁと思いました。
決してハデな映画ではありません。
人によっては、
見落としてしまうかもしれませんが、
よーく目を凝らして観ると、
見どころの多い作品です。