ネタバレしたい時(自分の「書きたい」を優先する)
ネタバレをせずに
作品の魅力を語る方法を書きました。
今回はネタバレも含めて
作品を語る場合のことを書きます。
私が敢えてネタバレを含めて、
作品のことを語るのは、
特別な場合です。
この手の記事は、
作品のことを知らない人に向けた
レビューとは違い、
その作品を知っている人、
または、その分野のことをある程度、
知っているマニアに向けて
記事を書いています。
私の記事で言えば、
以下のような記事が
その手の記事に該当します。
いずれも必要があって、
ネタバレをしています。
なぜ、ネタバレが
必要だったかというと、
「映像で読み解く」の場合でいえば、
あくまでもこの記事は、
「映像」の魅力を
伝えるための記事なので、
物語のことは、重視して書いていません。
しかし、「映像」のことを書くとすれば、
さまざまなシーンの細部について、
伝えるわけですから、
必然的にネタバレも
発生するわけなんですね。
「『プーと大人になった僕』~」
「答えはすぐそばにある」の二つは、
それぞれ二つの作品を比較して、
物語の構造の違いや類似点について
書いた記事なので、
これも必然的にネタバレしています。
いずれの記事も
ある程度作品を知っている人に
向けて書いているので、
決して親切な記事とは言えないですね。
でも、それは私が書きたかったので、
それでいいんです。
伝わるべき人に伝われば。
本当はそういう記事も
もっと書いていきたいんですが、
なかなか難しいところです。
というのも、こういう話は
ほとんどの人にとって、
どうでもいい話なんですね。
作品の細部のことは。
ですから、私の記事で
「レビュー」と称しているものは、
細部のことはアクセント程度にしか
触れていないのがほとんどです。
よく知らない人には
伝わらない話だからです。
先日、とある日本人作家の
作品を読んでいた方に、
「その本はおもしろいですか」
と質問したところ、
その方は細部のこと、
どういう描写がされているか、
という説明に終始されていました。
それを聴いて、
「うーん」と思ってしまいました。
なぜか、この作家さんのファンに、
作品のことを聴くと、
細部の「描写」の話を
することが多いです。
私もその作家の本は、
いくつか読んだことがあるので、
癖があるのは知っているのですが、
そういう細かい部分の話は
伝わりにくいんですよね。
(まぁ、向こうもこっちがある程度、
知っていると思って、
そういう説明に
なったのかもしれないが)
小説であれ、映画であれ、
細かい描写の話は、
なかなか伝わらないので、
丁寧に説明しなければ、
相手に話が伝わりません。
しかし、大抵の人は、
そういう細かい部分に
関心もないですから、
あまり積極的に
伝えることではない気がするんです。
私がもっとも理想的だと思うのは、
書き手が「書きたいこと」と
読み手が「知りたいこと」が
ピッタリ合致する文章です。
読み手というのは、勝手なもので、
興味がない話は、
全然聴いてくれません(笑)
逆に、興味があることは、
いくらでも欲しがります。
だから、私は、
「レビュー」と「エッセイ」で
書き分けをしているんですね。
「レビュー」は作品のことを
知りたい人が読むものですから、
そういう人が「知りたい」
と思いそうなことに
字数を多めに割いて書きます。
(例えば、「あなた」について
書いた分厚い本があったら、
誰でもそれを興味深く
最後まで読むだろう)
「エッセイ」の方は、
私が「書きたい」ことを
優先して書くので、
中には不親切な記事も
出てくるでしょう。
要するに私が言いたいのは、
「誰」を読み手に想定するかを
考えて文章を書きたい
ということなんですね。
これは文章に限りません。
私がもっとも苦手というか、
避けたいと常日頃から思っているのが、
相手の興味のない話を
延々とすることです。
自分が説明する労力に比べて、
お互いに得るものが
なにもないんですよね。
私も話していてむなしいですし、
話を聴かされている相手は、
退屈な時間を過ごすことになります。
文であれ、話であれ、
あくまでも相手が主体です。
そう考えると、
note の記事も同じことで、
できれば自分が
「書きたいこと」の中から
読者が興味を持ちそうな部分に
極力、力を入れて
(文字や写真を多めに)
記事を書くのが
ベストなのではないでしょうか。
これこそが、私が
「レビュー」と「エッセイ」を
書き分けている理由でもあります。