「芸術性」と「娯楽性」のはざまにあるもの
「芸術を愛する理由」
という記事を書きました。
記事がダラダラと
長くなるのが嫌だったので、
抽象的な言い回しに
なってしまいましたが、
その辺のことを
もう少し詳しく書いてみます。
記事の中で、
マンガでもゲームでも
バラエティー番組でも
ネットの動画でも
note の記事でも
なんでも芸術
と書きました。
乱暴な言い方かもしれません。
厳密に言うと、
私はいちいち
これらのものを
「芸術」だと認識して
鑑賞しているわけでもないのです。
「勝ち負け」がないものは、
すべて「芸術」だと思うんです。
ここで「芸術」
という言葉は一般的に
どういう意味なのか
辞書を引いてみましょう。
こういうこと
なんだそうです。
つまり「美」を中心にした
創作行為が「芸術」である
と定義できそうですね。
そう、そうなんです。
「美」というのは、
客観的なものではないです。
「美」は人によって
捉え方が違うんですね。
だからこそ、
私は芸術に「勝ち負け」は
ないと言っているんです。
「美」に絶対的な
定義はないからこそ、
いろんな方向性が
生まれるんですよね。
そこで、私が挙げた
いろんな芸術を振り返ってみます。
絵画、音楽、文学、
映画、マンガ、アニメ、
ゲーム、テレビドラマ、
バラエティー番組、
動画、note の記事、
どうでしょう。
人によっては、
「それって芸術?」と
思う方もいるかもしれません。
でも、その捉え方も
人によって自由なんです。
強いて言うなら、
「芸術性」という
一つの評価軸のようなものは
作ることができるかもしれませんね。
例えば、この中で、
「芸術性」と「商業性」の
はざまにいるのが、
「映画」だと思います。
映画には、
芸術性の高い作品と
商業性の高い作品が
混在しています。
商業的に成功する
可能性が高いのは、
やはり「商業性=娯楽性」が
高い映画でしょう。
誰にとっても魅力が
わかりやすいからですね。
映画の中で私がすごいなぁ
と思うのは
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
なんですね。
この作品の何がすごいって、
その知名度の高さですね。
そして、誰が観ても
「おもしろい」という
普遍性があります。
もしも、映画をまったく
観たことがない人に
「何を観たらいいですかね?」
と相談されたら、
真っ先に私は
これを勧めるでしょう。
誰が観ても、
「おもしろい」と感じる要素が
詰まっているからです。
この作品の普遍性の高さは、
つい最近も劇団四季が
これを舞台で作品化する
という話題で証明されたような
ところもあります。
▼先にブロードウェイで
舞台化していたらしい
一方で、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
この作品の「芸術性」
という点で言うならば、
私自身はこの作品は、
それほど芸術性の
高い作品とは言えない
と思っています。
やはり「娯楽性」が
高い作品なんですよね。
だからこそ、
多くの人が楽しめる作品に
なっていますし、
商業的にも成功を
収めることができました。
私が「芸術性」に重きを置いて、
映画の作品を勧めるならば、
先日、映画レビューでも紹介した
『ラム/Lam』の方を
お勧めします。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
『ラム/Lam』の二つを比べたら、
前者の方が、
圧倒的にわかりやすいからです。
『ラム/Lam』の方が、
映画慣れしている
上級者向きの作品です。
こう書くと、
勝ち負けがあるように
感じるかもしれませんが、
これは勝ち負けではありません。
「商業性=娯楽性」という
観点で言うならば、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
「芸術性」という
観点で言うならば、
『ラム/Lam』の方が
その評価基準に当てはまる
というだけの話です。
私にとっては、
どちらもおもしろい作品です。
なかなかうまく結論が
書けないのですが、
作品には
「勝ち負け」ではなくて、
「方向性」の違いが
あるだけなんですね。
そして、世の中には、
なんでも「勝ち負け」で
表現したがる傾向があります。
世の中全般がそうだからです。
学生時代の成績も
社会人になってからの仕事も
しまいには、人生そのものにまで
どれも勝ち負けがあるように
感じられる社会になっています。
そんな中にあって、
そこから解き放たれた
世界があるからこそ、
私はいろんな作品が好きです。
どの方向性も捨てがたいほどの
魅力に溢れており、
勝ち負けを決めることが
バカらしくなるほど、
素晴らしいと思うからです。
まだ、言いたいことが
言えていない気がするので、
次の記事に改めます。