振り返れば俺がいる(17)テレビについて(その3)中学時代のテレビ体験
――お次は中学時代にハマったテレビ番組について聞かせてください。
早いなぁ。本当は小学生の頃にハマったテレビは他にも色々あるんですが。まぁ、また長くなってしまうので、それはまたの機会としましょう。
私が中学生の頃になると、小学生の頃に好きだった『みなさんのおかげです』もコントをやらなくなっていくし、『やるやら!』は終わって、ウンナンのコント番組もないし、という状態になっていきました。
――やはり、子どもの頃から観ていたコント番組が好きだったのですね。
そうですね。当時はドラマもあんまり観ないし、アニメか、バラエティー、特にコント番組が好きでした。でも、私が中学生の頃には、コント番組がどんどんなくなっていったんですよ。
――そんな中で特にハマった番組といえば?
『タモリの超ボキャブラ天国』(’96~’97)ですね。
▲1996年10月~1997年3月 水曜22:00(フジテレビ)
初代『ボキャブラ天国』(’92~’93)は、19時台にやっていた頃は、30分番組だったんですよね。放送されていたのが、水曜日で『ドラゴンボールZ』の直後の時間帯に放送されていたので、たまに観ていました。
――言葉とか歌をもじったダジャレの投稿をVTRで紹介する番組ですよね。
そうですね。『タモリ倶楽部』(’82)の「空耳アワー」の拡大版みたいな感じでしたね。
その頃は、そんなにお気に入りの番組というほどではありませんでしたけど。その後に始まった『Superボキャブラ天国』(’94~’96)の1コーナーにヒットパレードというのがあったんですよね。
――毎回、若手芸人がコントのボキャブラネタを披露して、審査員が番付けするコーナーですね。
これは22時台の番組なので、私はほとんど観たことがなかったんです。
中学時代まで、21時には寝ろって、就寝時間を決められていましたから。
――21時とは、なかなか厳しいですね(笑)
なんかね、就寝時間だけはうるさかったんです。おかげで身長が伸びましたけど(笑)
だから、『Superボキャブラ天国』の頃は、ほとんど観たことがなくて。その後、「ヒットパレード」のコーナーをメインにした『超ボキャブラ天国』が始まったんですよね。
多分、『超ボキャブラ天国』の頃に、うちの両親がハマりまして、一緒に観るようになったんです。21時には寝ていたので、録画したやつだと思いますけど。
――それで、いっき82さんもハマったと。
そうですね。当時は若手のお笑い芸人とか、全然知らなかったんですけど、爆笑問題とか、ネプチューンとか、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)とか、今も活躍している人達がたくさん出ていたんです。
▲当時のニックネームは「不発の核弾頭」
▲当時のニックネームは「電光石火の三重殺(トリプルプレイ)」
▲当時のニックネームは「邪悪なお兄さん」
私が観始めた頃には、つぶやきシローが凄い勢いで売れていきました。
一発屋の最初の例とも言われますが、あの頃のつぶやきシローの売れ方は凄かったですよ。ラジオの『オールナイトニッポン』とかもやっていましたし。
――知らない芸人さんばかりでも、おもしろかったんですね。
知らないからこそ、魅力的に映ったのかもしれません。
『ボキャブラ』って、当時は凄い人気でしたけど、今観ると、基本、ダジャレだし、当時だからおもしろかったというのはありますよね。
ネタそのものよりも、みんなが知らない芸人を覚えて、毎回、ランキングでしのぎを削って、徐々にキャラクターが定着していくという過程がおもしろかったんじゃないでしょうか。
――特にお気に入りのキャブラーはいましたか。
爆笑問題やネプチューンは当時から好きでしたけど、特に好きだったのは、フォークダンスDE成子坂です。
▲’99年に解散。ツッコミの村田さんは’06年、ボケの桶田さんは’19年にそれぞれお亡くなりになっています。また、お二人のコントが観たかった……
ここでも私の死神感が出てますね。フォークダンスDE成子坂なんて、なんであんなにおもしろいコンビなのに、あんなに売れなかったのか未だに不思議でしょうがないですよ。
私が好きになるものは大体そういう運命にあります(笑)
(次回に続く)