アイデンティティの出発地点
子供の頃から、人が好きだった。
小さい時は公園で幼なじみが遊んでる姿を眺めてるだけで
「今日は○○君と遊んで楽しかった」
っていうくらい優しさと思いやりで溢れていた。
誰かが感情を豊かに表現しているのがすき。
誰かが新しい感情に出会うのがすき。
その瞬間を作れるのが僕の幸せだった。
じゃあ、僕はどうなの?
普段からみんなが楽しめるように気を配らせ、1人になっている人に寄り添ったり、向き合ったり。人前で涙を見せたことないし、ましてやステージに立つこともあまりない人生やった。
分かってる。
それは僕自身の感情を知られるのが怖い事への裏返し。
なにせ僕の抱えているものは大きすぎる。
もし受け入れられなかったら関係性が変わってしまうかも。
いま思うと、自己表現どころか僕のありのままの姿を他人に見せたことなかった。
ていうか、同い年って凄いね。
心の壁なんていとも簡単に破られる。
悩みも。楽しさも。葛藤も。
同じ時代を生きてきたからこそ、分かり合えるものがある。
それぞれが形は違えどありのままをさらけ出してる姿は、これまでそんなことしてこなかった僕からしたら正直憧れるほどに羨ましかった。
そんな人たちのことをいつの間にか信頼しすぎてしまったのかも知れない。
ふいにステージに立ち、僕のことを話していた。
しんどかったこと。しんどかったこと。しんどかったこと。
普段はニコニコしてるだけでこんなこと誰にも言わないのに、なぜか泣きながらでも僕の過去をこんなにもいっぱい、みんなに伝えたかった。
あーわかった。すごく寂しかったんだ。
そのままの自分を受け止めて欲しかった。
こんな自分でも受け入れて欲しかった。
みんな同じように悩んでるからこそ、同じように表現したかった。
終わった頃には、僕もただひとりの人間。
過去のしがらみという大きな荷物は置いてきた。
仲間たちとこれからの未来への希望を胸に。
いま、アイデンティティの出発地点。
僕が僕として生き始める。