入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』を読む(偽)日誌 #2
2025/01/28
そういえばNewJeansは名前を使えなくなるらしく、一般公募でつぎの活動名を募っているらしい、というのを聞いた。TWICEの日本人メンバーで結成されたMISAMOは、メンバーの頭文字(MINA・SANA・MOMO)をとって命名されているが、ミンジ・ハニ・ダニエル・ヘリン・ヘイン(年齢順)の任意の文字をえらび「ジニニリン」などはどうだろうか、と考える。そうでなくても「ミニエヘヘ」とかもあるわけで、とにかく彼女たちがまた元気に活動できることを祈るしかない。
ハチャトゥリアンの3番目の交響曲には《Symphony-Poem》という副題(?)がついていて(原文は《Simfoniya-Poema》、《Симфония-поэма》)、なんて仰々しい!と思わなくもないのだが、私は3番がいちばん好きだ。オルガンが編成に入っているので、とにかくデカい(音も)。
入沢康夫のツイッターを見ている。どうやらこの人は相当なアニメオタクだ、と思ってしまうのはあまり良くないのかもしれない、それでこんなツイートを見つける。《人は他について語る時、ともすれば話を大げさに、又は面白くしがちだ。つい先程も「入沢康夫は五指に入るアニメオタク」などという説があったが、大幅に事実が誇張された一例。初期の賢治伝記にもかなりこの傾向があり、今となっては真実か否か判らない事柄もある。》(@fladnogakobuta 2015年9月21日、10:35のツイート。2025年1月28日15:06閲覧)しかしたとえば『かりのそらね』には「津岐の菟」というのがでてくるし(セーラームーン?)、ぜひ入沢さんには月ノ美兎を見てほしかった(というのはおこがましいけど)。
VTuberの演技性について。根本凪はVTuber根本凪でもあり、たとえば清竜人25の清凪であり、あるいはでんぱ組.incの根本凪か、虹コンの根本凪……と複数の〈私〉をもちつつ、結局のところ本来の〈私〉のすがたとは彼女の歌声に依るものだ、と思う。
たとえで出したのは根本凪だったが、絵(表面)とナカ(実体)のあいだに揺れるVTuberはおもしろい。常に演技する状態にある、というかそこからの脱臼として月ノ美兎『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』(2021)を、ヴォーカリスト月ノ美兎(実体として、声)を見る。音楽を聴く耳は声に、じかに接続される。アートワークは絵だが、耳から得る情報で立ち上がるのは声だけだ(もちろん“ニン”の部分を知っているワケだが……)。ひとまず、演技体としてのVTuberを考えること(生きる演技?)が重要で、『わが出雲・わが鎮魂』(持ち運びがしにくい!)からは遠ざかるばかりだ……。(続)