1.4 新日本プロレス 東京ドーム大会 棚橋弘至選手vsケニー・オメガ選手のイデオロギー闘争を会社に喩えて考える回
今回は、タイトルの通りきたる2019.1.4東京ドーム大会のメインイベントである棚橋選手とケニー選手のイデオロギー闘争について、日本の大企業に置き換えて考察・妄想します。それだけです。
前提知識おさらい
あまり新日本プロレスに詳しくない方が読んで頂いたことを想定して少し前提知識のおさらいをします。詳しい方は読み飛ばしてください。
棚橋選手は新日本プロレスに新人で入門して、一筋で戦ってきました。暗黒時代もコツコツと実績を積み上げて、今のブームの礎を作りました。そして今もエースとして君臨しています。ファイトスタイルは、試合の中でストーリーを作るような展開を重視しているともいわれます。
ケニー選手は元々はカナダの路上レスラーで、日本ではDDTというインディー団体で長く活動をし、そのずば抜けた才能を見抜かれ、新日本プロレスのリングに上がるようになり2018年6月ついにIWGPヘビーという同団体の最高峰のベルトを獲得しました。ファイトスタイルはお客様の求めるものはなんでもやると言った形で、ストーリーよりは派手さや反応を感じ取りながら大きな技を繰り出していきます。
以上で見てきたように、この2人は国籍はもちろん、レスラーとしての生い立ち、そしてファイトスタイルの全てが異なるといえます。
田口監督がそこを絶妙に解説していますので合わせてお願い致します。
会社に置き換えると?
では、本題に戻ります。この関係を会社に置き換えたいと思います。ここでいう会社は、歴史ある日本の大企業と考えた方がわかりやすいかもしれません。
棚橋選手は、新卒入社をしてその会社の中でもがいて成長して、新卒のエリート社員として会社の成長を支えてきた42歳のエースマネージャークラスと言えます。
一方のケニー選手は、大企業といえど外部環境の変化に対応するために、中途で採用したタレント社員です。しっかりと環境変化に対応するというミッションを果たして、いまやエリート社員として、マネージャー候補筆頭の35歳です。
新卒組 vs 中途組 の軋轢はどの会社もある
出入りが激しい外資系を除いて、ある程度新卒主義の色が強い日本の会社はどこにでもあるのが新卒と中途の軋轢です。
自分たちのやり方が正しいと信じて成長し、時には自ら変革や挑戦も行い会社を支えてきた自負がある新卒社員。
一方でこの会社にはまだまだ直すことがたくさんあり、自分がそれをやるべきだと信じて入社し、前職や外部から見ておかしいものや不合理なものは徹底的に改善していき新しいものへと導こうとする中途社員。
新卒社員からしたら後から来て細かい事情も知らずに偉そうなことを言う中途は煙ったいです。ましてや自分より扱いが良いとジェラシーも起こります。
中途社員からしたら井の中の蛙なのに前からいるという理由だけで偉そうにしてる新卒社員は滑稽に映りますし、自分より上にいると自分がここに中途入社した意味に疑問を持ちたくなります。
もちろん、どちらが正しいということはないですし、実際の会社であれば折り合いをつけていくものですが、プロレスの世界では折り合いではなく、リングの上で白黒つけるしかないのです。
中途の役目は新卒主義への刺激
僕自身が中途入社した時に言われた言葉でもあり、他の中途入社組もよく言われていることは
「中途は新卒主義への刺激」です。
中途が多い会社ではちがうと思いますが、日本の大企業のように新卒が多い会社は、中途は新卒組への刺激としての役目が期待されます。
新卒主義はそう簡単には変えられませんし、それで成長を支えてきた強みでもあります。なので中途としてはそれを破壊するのではなく、刺激をして代謝を促すようなことを求められます。
ケニー選手の勝利こそ良い刺激?
ということで、話を棚橋選手とケニー選手に戻すと、中途であるケニー選手が棚橋選手に打ち勝つことこそが、新日本プロレスへの刺激なのではないでしょうか?
ケニー選手は、棚橋選手のスタイルを古いと言っていますが、新日本プロレスの文化全てを否定しているわけではありません。むしろ、内藤選手やオカダ選手など、棚橋選手に続く新卒組のファイトスタイルには敬意を払っています。つまりケニー選手の勝利は、新日本プロレスの新卒文化を破壊するものではなく、次の世代への刺激となって次の文化を作っていくものになると思います。
刺激を受ける次の新卒組、あとを追う中途組
中途が頂点に立つことに面白いと思わない内藤選手、オカダ選手などの次の新卒組は改めて自分たちが頂点に立とうとさらに奮起すると思います。
また、中途でも頂点に立てることを知った飯伏選手や石井選手のような中途組もさらなる高みを目指すでしょう。
今回の1.4のメインイベントを大企業社員の新陳代謝として捉えると、ケニー選手の勝利の方が好循環かもしれません(決して僕でしては棚橋選手が嫌いなわけでも古いと思っているわけではありませんが)。