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子育てを花育てと考えてみたら非常にシンプルに答えが出てきました。①子育ての目的。②親の役割。③子どもとの関わり方。

人と花との違いは、究極自分が花を咲かせることを疑うか疑わないかじゃないだろうか。

花は自ら咲くもの。花は自分がどんな花を咲かすかを知ってる。花は咲くまでにどんな環境が必要かを知っている。花は咲くための心地よい環境を知っている。他の花になりたいとは思っていない。花は咲くまで厳しい環境もある。環境が整わなければ花は咲かない。

花は咲く力を既に持っている。咲くか咲かないかを花達は種の数でトライ&エラーを繰り返している。

人はどうだろうか。花を私は人の「役割」と考えたい。「生きがい」や「使命」と考えてもいいだろうか。
役割は自分で果たすもの。自分がどんな役割を果たすかを知っている。役割を果たすためにはどんな環境が必要かを知っている。役割を果たすための心地よい環境を知っている。他人の役割を持ちたいとは思わない。役割を果たすまでには厳しい環境もある。環境が整わなければ役割は果たされない。

役割を果たす力を私達は既に持っている。果たせるか果たせないかは、私たちの場合、失敗と成功の数でトライ&エラーを繰り返すと自分の役割という花を咲かせられるのではないか?

①子育ての目的 
花は究極、子孫繁栄が目的だとは思うが、人も究極それは同じなので、花は花を咲さかすことを目的としてみると、人は自分の役割を果たすこと、社会の中で自分とは何者であるかを自覚し、社会の中で誰かに貢献することではないだろうか。花が自ら立ち、花を見て誰かが「きれいねぇ~」と心に暖かいものがともることと同じである。

②親の役割
・愛情を注ぐ:頑丈な根を張るため、水をたっぷりと注ぎ、栄養を与え、日光を浴びさせる
・見守る:必要なお世話をしたらじっと見守り、待つ
・信じる:自ら花が咲くと信じる
・揺れる我が子に向き合う:雨風や虫に食われた傷のケアをする
・約束を守る:決まった時間の水遣りなど
たっぷりと愛情を注ぎ、信じて見守り、時に揺れる我が子に真剣に向き合い、約束を守ることで信頼関係を築く。
自分には価値があり、大事な存在であるという、安心感を与えることが親の大きな役割であると思う。

③子どもとの関わり方
・個性を見極める
花は自分で咲かすものだ。親がこっちの花が良いんじゃない?とかこんな花を咲かすのよ、とは決められない。我が子と親は別人格である。似たような花を咲かすなどと考えるべきではない。花咲くのは勝ち負けではない、大小で優劣も無い。違うだけである。自分の花に誇りを持つべきである。
・夢を持たせる
私の子がこんなこと出来るわけない、世の中そんな甘くないわよとか、花咲くことから遠ざけることをしていないだろうか。花が自分でどんな花を咲かすかを知っているのはDNAに刻まれているから。人も同じはずだ。でも私達は、これまでの経験や世間体、現実の困難さに打ちひしがれ花咲かすことを忘れたり、花を咲かすDNAに逆らった選択をしてはいないだろうか。ストレスは流れに逆らうから感じるものである。DNAという説明も付かない大いなる存在よりも、自分の経験や自分の国の習慣や時代のしがらみやらで判断し、ありもしない制限をかけてはいないだろうか。
・チャレンジさせる
大いなる存在が導く「やりたい!」という気持ちを大切にする。DNAはそうやって花咲かせようと私たちにあらゆるかたちでメッセージを送ってくれている。
・かすり傷を負わせる
寒い冬を越す必要だってあるのに、暖かい部屋においては花は咲くだろうか。かすり傷を負わせながら育てることが、どんなことが危険で上手くいかないのかを知り、取り返しの付かない傷を負わないようにするのである。
・しつける
他の花が咲こうとするのを邪魔してはいけない。自分だけの花が咲けばいいのではない。自分の花に誇りを持てると、他の花が咲くことにも尊敬の思いが抱ける。

花と人との違いは、花咲くことを疑わないか、疑うかだ。それは人には脳があり、思考し学習する代償である。ある意味、学習することで自分に制限を設け、自分を疑い、自信を失い、花など咲くわけがないと、さまよってしまうのである。だからこそ、親が我が子が花咲くことを信じ、疑わずに関わることだと思う。

いつもいつも、私たちのDNAはメッセージを送ってくれている。「ん?」とか「あれ?」とかの一種のストレスや、どこで喜びを感じるかはそのメッセージである。キャッチするかキャッチしないかは、自分の花を咲かせたいか、咲かせないで人生を送るかの答えに等しい。


日々の気付きやコラムこちらにも書いています。

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ごきげんママ|育児と人生に安心感を|心とじぶんに自覚的に生きる|あらのたか子
なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。