自分が描いた「ありたい姿」が、まだまだ、他の誰かにとって「あるべき姿」だった件。
先日気付いてしまったこと。
これまで、こうなったら・こうだったらいいなぁ、こうありたい、と思う姿をたくさん描いてきた。
カッコいい・カチッとして・ステキで、だけど真面目で…という姿。
その姿になったら当然にやっていることを、今、やってみる。
そんな思いもあり、思い当たることをやったりもしているけど、、、いつもいつも「な~んか、違うなぁ…」という違和感。
恐らく、この1年くらいそんな思いでずーーっといた気がして。
やること、なすこと、ぴたっとこない、そんな違和感。ワクワクする感覚がそこにはあるのだけど、実際にやってみると、その後、なんとなく後味が悪い、そんな違和感続き。
イメージしたものをやってみたはずなのに、後味が悪いあの感じ。
全然その正体が分からなかったけれど、、先日、サウナへいき、私が「ととのった」瞬間の表情を私を知る他の誰かに見せたとき。先日、セミ採りに行き度肝を抜かれた際の驚いた私の「いい顔」を写真に収められたとき。この二つの瞬間が重なり、私は思った。
今までこうありたい、こうなったら・こうだったらいいなぁ、こうありたい、と思う姿は、誰かにこんな風に評価されるだろうな、こんな風だったらすごいって言われるだろうな、こんな風だったらかっこいいだろうな、誰もがうらやましいとか言うんだろうなぁとか、、、、、
恥ずかしいがそんな姿を私のありたい姿だと思い込んでいたようだった。
自分なりに整えてきた自分が描いた「ありたい姿」が、まだまだ、他の誰かにとって「あるべき姿」だった件。
実際の私の生活は変わっていない。だからか、瞬時に「あるべき姿」に戻ってしまう気がする。こうやって言葉にしたり、一日の中でふと我に返る時間を持つとき、「あぁ、あるべき姿を今日も演じてしまった。。。」と思う。我ながら残念と思いつつ、演じていると気付いた分だけ、私は自由に近づいたと感じたりもしている。そうじゃないとやっていけないというのも事実。
「ありたい姿」の先にある、サウナとセミ採りの時に現れた素っ裸の「じぶん」にやっと触れられて、嬉しかった。。。