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別に分かってもらわなくてもいいやって諦めてたかも

「ありがとう」って伝えらるけど、伝わってるのかな?

そこに「ありがとう」がもし無かったとしたら、とっても気持ち悪い場面って多すぎるから「ありがとう」の価値があるのは分かるけど、伝わっているのだろうか?という疑問。

伝わらなかったら、無いのと同じなのでは?と言う、なんかマーケティングやコミュニケーション的な話になりそうだけど・・・

感謝を作り出せているだろうか?感動を創り出せているだろうか?と同じことのような気がしてなんか不安になってきたのです。

私の足りなさはここかもしれない。一歩踏み込まないこと。もしかしたら、伝わらなくてもイイやというお付き合いしかしていないのかもしれない。自分が正しいと思うことを表現し始めて入るけど、言葉では印象の言いように伝えているが、メールでは伝えるけど、電話はしないみたいな。それなりの程度でしか関わっていないのかもしれない。

それは初めから私のことを分かってもらわなくてもイイやという諦めであり、あなた私のこと分かるわけないでしょ的な上目線の諦め。どちらもある。

受信者だったらアウトプットする場に安全を求めて、そこで表現する、それでいいのだけど、私は影響力をもつ発信者になっていきたいのであれば、恐らく覚悟が少なかった。

叩かれる覚悟よりも、自分を信じるきることのほうが大事ではあるが、信じ切れた後、自動的に叩かれる覚悟が出来るわけじゃなかったらしい。私達は意識して起きていなければならない。無意識に生きていることは考えないで感じるだけの人生だ。感じるだけの人生でも良いが、考えることは独自の思いを創り出すことに通じる。人生はいつでも試合中。

ありがとうも相手に明確に伝わる伝え方。一歩踏み込んだ感謝が感動を呼ぶ。そこに人は心動かされるから。

なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。