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チケットおじさん

壱岐島には映画館がない。昔はあったという話も聞いたが、僕が物心つく時にはなかった。

今みたいに、Youtubeがあったり、DVDレンタルショップがあったり、すぐに映画を見ることはできない環境が島にはあった。

初めてちゃんとした映画館で映画を見たのは、たぶんゴールデンウイークとかの連休で福岡に船で行った時だと思う。


新年から、子どもの頃をふと思い出している、新年あけましておめでとうございます。柴さんです。


そうそう、僕が小学生の頃(今から35~40年前)、年に数回、小学校の校門の所で映画のチケットを配っていた「通称:チケットおじさん」がいた。


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チケットおじさんは登下校時間に合わせて登場する。

よくは覚えてないが、30~40歳ぐらいだったんじゃないかな。イラストみたい極端に怪しくはなかったと思うが、それなりに怪しかった気がするし、今ならコンプラ的にアウトな人だと思う。絶対通報される(笑)


島とか田舎の方には映画館がないため、ときどき町の文化施設みたいなところで映画上映があっていた。


チケットおじさんは、その映画宣伝のために、映画の割引入場券を学校前の子ども達に配るのが仕事。もしかしたら、映画上映の時は、受付や裏方もやってたのかもしれないし、島の人がバイトでやってたのかもしれない。


チケットおじさんは人気者だった。


チケットは映画の割合チケットにも関わらず、小学生の僕らはこれをもらうと「映画が見れる!」とか、「1枚で〇〇円引きだから×枚集めたら、タダで映画が見れるんじゃ!?」とかめちゃくちゃテンションが上がっていた。


だから、チケットおじさんの周りには、そんな子ども達がたくさん詰め寄っていた。


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そんな些細なことに胸を踊らせていた時代。


今は、インターネットが世界中にあふれて、情報も、感情も、正解も不正解もすぐにわかったり、伝わってしまう時代になった。すごく便利な世の中だと思うし、否定はしない。


でも、一方で知らないことに対する「ドキドキ」も少なくなったと思う。


すぐわかっちゃうから。


「鬼滅の刃」もそうだけど、これからの時代は「ネタバレしてからが勝負」という気がする。「わかっていても、何度も見ちゃう。」という自分を重ねあいながら、自分のココロに少しずつ楔を打つようなコンテンツが長く太く生き残るのかもしれない。



「光と影、表と裏。」


物事には2つの面がある。


だいぶ窮屈になったこの時代。間違いや過ちを認め、許しあう、ユルい世界が個人的には好きだ。この壱岐島は「SDGs未来都市」として、「#誰一人取り残さない」を掲げている。


ただ、日本は田舎に行くほど集団主義だし、多様性を認めない。


「知らない」=「嫌い」


ではなく、もっと子どもの頃のように、「知らない」=「え?なにそれ?どんなことなの?教えて、教えて!」という子どもの頃の純粋な好奇心がそれを紐解くカギになるのではないだろうか。


みんなその頃があったのだから、きっとできるはずだ。


奇跡を起こすには、偶然を重ねること。


偶然を起こすには、トライすること。


そこに「縁」が加わることで、奇跡の輪(円)が少しずつ繋がって、だんだん奇跡が近づいてくるんだと思う。



2021年はもっとドキドキ、ワクワクする年に。

させる年に。


2021.1.1 雨の日の元旦に。


どんより天気をさらにどんよりさせるのも、カラッと晴らすのも自分の気持ち次第。



いつも「♡いいね」ありがとうございます。大好きです。

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