糸電話の向こう側はたぶん、あの日のじぶん
小さな子どものころ、私は糸電話で遊ぶのが大好きでした。
当時はまだ携帯電話が一般的ではありません。電話といえば、家の固定電話を意味していました。
中には、彼氏からかかる電話を娘につながない親もいたと聞きます。
「娘はいません!」ガチャン...ツーッ...ツーッー
みたいな。
注)ガチャン=アナログ電話の重い受話器を本体に置く際の効果音
年ごろの娘に悪い虫がつかないようにと、多くの親はがんばりました。
昭和生まれのパパは、少なからず虫時代を経ていたんですね。
電話で彼女・彼氏にひとこと「好き」と伝えるために、
【気力】...通話を続ける気合い
(家族からのはよ切れ!という圧との戦い)
【体力】...電話料金支払い能力
(無料通話のない時代は、高かった)
【時の運】...お互いの家族の不在
(長電話すると請求料金でばれる)
こんなものが必要だったりしました。
そんな時代にあって糸電話は私に、おもちゃ以上の価値を感じさせてくれるものでした。
なにしろ名前に電話とついていますので、私にとってはキッズ携帯のようなもの。
相手が耳元で語りかけてくるような臨場感を体験できる、骨伝導スピーカー内蔵商品のさきがけ的存在。
なぜ今、こんなことを考えているかといえばたぶん、7歳児から「糸電話で話そう!」と、誘われて、さっき通話を終えたところだからですね。
「もしもし、何してる?」
「今ね、電話してる。」
成人相手なら耐えられない会話も、相手が7歳だと胸の奥のほうがじんわりとあたたかく、ずっと相手の声を聴いていたい。
電話を切りたくないとさえ思うのは、どうしてなんでしょう。
愛しさと懐かしさがこみ上げてきます。
今日の空でした。
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