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コラム⑤ 宿題は別にやらなくてもいいという話

大分暖かくなってきましたね。生須です。
寒いと本当に何もする気が起きなくなってしまうので、
春を本当に待ち望んでました。春最高。

さて、突然ですが皆さんは宿題ってやってましたか?
私は極力やらない子どもでした。なんなら未だに変わっていない
いわゆる漢字ドリルとか、算数の練習とかいう腕の筋トレとしか思えない
謎の反復練習をとにかく忌み嫌っていました。
なんでこんな事やらなくちゃいけないんだ、って常に思っていました。

実はアレ、理解しているしていないに関わらず、やる必要はないんです。
だって冷静に考えたら分かりますよね。
例えば社会人の方で
「業務時間中に終わらなかった作業がありました。このままでは翌日に支障を来すため終わらなかった作業については家で終わらせておいてください。
もちろん、明日の朝までにお願いします。」
って言われたらどうですか?当然ながら、残業代とかは出ません。
ふざけんなって話ですよね。以前居たところではまかり通っていたけど

これは宿題でも同じです。
理解していないのであれば次の授業で聞けばいいんです。
子どもの放課後は大人の余暇時間よりもはるかに大切なんです。
余計な作業で奪うことは、子どもの青春を奪うことに繋がります。

なによりも、理解している人に対しても同じ分だけ作業させる必要はないんです。
例えば国語算数理科社会の4教科があったとします。
あの日、授業で各教科で3ずつの進捗がありました。
そのため、確認も兼ねて各教科で1ずつ宿題が出されました。
Aさんは算数理科社会がめっちゃ得意ですが国語がとても苦手です。
Bさんは国語理科社会がめっちゃ得意ですが算数がとても苦手です。
Cさんは国語算数社会がめっちゃ得意ですが理科がとても苦手です。
Dさんは国語算数理科がめっちゃ得意ですが社会がとても苦手です。
普通に考えたらAさんは国語、Bさんは算数、Cさんは理科、Dさんは社会の
宿題をして復習をすることは必要だと思いますが、果たしてそれ以外の
十分に理解できている分まで宿題をさせられることの意味はあるでしょうか。

宿題には忍耐力を付ける、言われたことをちゃんと熟すと言った力を養う
意味もあるんだ!!!門外漢が教育についてウダウダ言うなギャオオオオンンって言われるかもしれませんが、生徒たちに丸投げにするのが本当に教育として正しいでしょうか?私はそうは思えません。
生徒がそれぞれ理解できなかったところについて、先生が把握するのに
役立てる、っていう理由ならまだ分かります。わかりますが
それなら授業の最初に小テストなりなんなりで確認すればいいわけで……

小学生の時は基本的に全部先生が同じだったから過度に宿題を出されるパターンはあまりありませんでしたが、中学生から教科ごとに教える先生が異なるため、ときたまアホみたいに宿題が課される日があったことを覚えています。
まあ私は宿題の類は全くやらなかったため、テストはそこそこ取れてましたが内申はボロクソでした。内申とかいうクソシステムを絶対に許すな(話がそれるため強制終了)

実際にはもっといろいろと事情があるんだとは思いますね。
例えば教師の稼働がヤバいため、宿題として生徒に分散させる必要があるとか、そもそも教えるのが下手な教師しかおらず、授業の効率がよくないとか、生徒の親がモンスターすぎて平均以上を常に求められて、なんかやってる姿勢を見せないとめんどくさいとか、自主的に勉強するような子どもなんてほぼ皆無で、宿題で強制させないと全然勉強してくれないとか。

なんかよくわからなくなってきたけどとにかく子どもたちに一番必要なのは遊びだと思っておりますので、できるだけ子どもたちには余計な負担は減らしてあげて、遊びの時間を増やしてあげてって思うのです。あと内申はクソ。さっさと廃止しろ(まだ言ってる)

急に小2の時に異常なくらいひっ算の練習をさせられてキレた記憶を思い出したせいでこんな記事を書いてしまった(アホ)
(終わり)

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