何事にもきっと理由がある。
今回もまたよくよく考えてしまっているシリーズです。
お話したいのは、いつの間にか歳を重ねるにつれて「感謝」、そう「ありがとう」の数が減ってしまっていないか、というお話です。
大人になるという事は、不自由な事が増えその選択肢が狭まれながら歳を重ねると言う人もいますが、僕の今のところの感覚は「やりたい事」「出来る事」「やらないといけない事」が研ぎ澄まさながら歳を重ね大人になっていくと思っています。実際は意識だけで、人に囲まれて生きる以上、1人では生きていけず、起きていくその瞬間瞬間のリプレイに対してちゃんと「ありがとう」と思い、言葉にしてい事が本当に大事だなあと、昼下がり考えていました。
なんでそんな事を考えていたかというと、仕事を中心に今自分の生活に対して、疑問に思う事や変えたい事を考えるとどうしても最初はネガティヴになり易くて、「ありがとう」が減ってしまっているな、目の前のこの瞬間を最近疎かにしているなと思ったからです。
僕は昨年の11月から大学時代に知り合ったバディと不思議な縁でシェアハウスを始めました。それも直感的に、即行動で。当時の自分を振り替えると、こないだ記事にした転職振られた事件もあって、そのまま流されてしまいそうなくらいの無意識、ただただ毎日を繰り返すだけでした。勿論、その生活の中に感謝する意識も、言葉もなく、謙虚さを失った抜け殻人間でした。そんな時にシェアハウスを始めて、人と暮らす事を始めました。今思うと本当に良かった。ロボットのように暮らしていた毎日から、人間に戻った、そんな気がしてなりません。
人と暮らすという事は、「ありがとう」の連続、日々感謝ばかりです。お互いが補い合って「暮らす」事を目標として、共存する。「ご飯ありがとう」「お弁当ありがとう」「掃除ありがとう」「ゴミ出しありがとう」などなど。きっと忘れていた感謝の気持ちを取り戻す為に、新しく与えてくれた「環境」だと思っています。だからこそ、もっと実感して言葉にしながらこれからも毎日懸命に生きていこうと思います。素直に、誠実に。自分の価値観に、「どんな時も感謝の気持ちを忘れない」を付け加えて。
「今日もありがとう、明日からもどうぞ宜しく世界!」
おやすみなさい。