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お金の歴史⑤ 「紙幣」誕生は中国で起きた!金融イノベーションの背景を探る
前章では、分権型ギリシャと対照的に、中国が呪術的貝貨から戦国期の多様な金属貨幣へ進化し、中央集権下で秦が半両銭で統一した過程を辿りました。今回は、世界金融史における先駆的な事例として、中国で発明された紙幣誕生の歴史を見てみましょう。
唐代(618〜907年)の飛銭:紙の手形がもたらす利便
数世紀にわたる魏晋南北朝の分裂を経て、589年に隋が統一を再建。しかし、その隋が短命に終わり、618年に唐王朝が成立すると、7世紀後半から8世紀にかけて長安(人口100万超とも言われる大都市)が繁栄を極めるようになります。大量の銅貨が経済活動を支えた一方、銅貨を物理的に運ぶ負担と盗難リスクは急激に高まりました。その解決策の一つとして生まれたのが、紙を用いた引換券「飛銭(ひせん)」でした(ジョン・スミス, 2018)。
飛銭は、現代でいう“銀行小切手”や“送金為替”のような機能を果たすもので、唐政府が公的に一括管理していたわけではなく、地方官府や大商人が独自に発行する“手形”に近い存在でした。とはいえ、木版印刷で独特の図柄や文字を刻み、それを手にした商人が決められた地域で銅貨に引き換えられる仕組みは、遠隔地取引において画期的な利便性をもたらしました。もし大量の銅貨を荷車に積んで移動するより、紙数枚をポケットに入れて移動するほうが、時間・コスト・安全面で圧倒的に優れていたからです。
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こうした飛銭の機能は唐末まで拡大していきますが、9世紀末〜10世紀初頭の黄巣の乱(875〜884年)や藩鎮の割拠によって政権が揺らぐと、飛銭も乱立し、一定の地域や特定商圏内でしか通用しない“地方紙幣”のような形態が増えていきました。全国をまとめあげる公式紙幣としては未成熟で終わったものの、紙で決済を行うという発想はここで社会的に広く浸透し、次の宋王朝で本格的な公的紙幣が成立する土台となったのです。
宋の交子(960〜1279年):公的紙幣の確立
10世紀後半、趙匡胤(太祖)が開封を都として北宋を建国すると、唐末〜五代十国の混乱で乱立していた私的手形や鉄貨預かり証などを整理し、ついに政府主導で紙幣“交子(こうし)”を発行するシステムを確立します。これは“世界史上、極めて早い段階で成立した公的紙幣”の一例であり、当初は四川省など特定地域での流通に限られていましたが、11世紀初頭には中央政府が木版印刷を用いた偽造防止策を強化し、複雑な文字や図案、さらには多色刷りなどを採用するようになりました。
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紀元1023年頃になると、交子の発行量や交換制度を明確に法令化し、“有効期限”を設けて古い紙幣を回収し、新紙幣に置き換える手順が定められます(佐藤健, 2022)。この仕組みによって、紙幣の信用度が一定水準に保たれ、大都市の商取引や海上貿易が飛躍的に効率化されました。もし開封や洛陽の市で商売する者であれば、山積みの銅貨や大量の鉄貨を運ぶよりも紙幣を携行したほうがはるかに機動性が高く、海外交易においても支払いがスムーズに行えるといったメリットを享受したことでしょう。
しかし、1127年に金の軍勢が北宋の都・開封を陥落させると、宋王朝は臨安(杭州)へ移って“南宋”として存続を図ります。度重なる戦費調達のために紙幣を増発すると、交子に加えて会子など地域ごとの紙幣が次々と乱立し、私鋳同様に価値が乱高下する状態が生まれました。もし12世紀末〜13世紀前半に南宋を旅した商人なら、同じ“交子”という名前でも発行時期や発行地域、交換レートが大きく異なり、しばしば相場変動に苦労する様子を目撃したかもしれません。こうして、**“紙幣は王朝の政治基盤が安定していなければ信用を維持しづらい”**という現実が、より強く意識されるようになっていくのです。
元王朝(1271〜1368年)の中統交鈔:国際舞台へ進出
13世紀前半から中頃にかけて、モンゴル帝国がユーラシア大陸を席巻し、東欧から中国大陸までを広大な版図でつなぐ一大帝国を築きました。クビライ(世祖, 在位1260〜1294年)は、1271年に“元”王朝を創始し、1279年に南宋を滅ぼすと中国全土を支配下に置きます。その際、宋の紙幣制度を取り込み、さらに「中統交鈔」「至元交鈔」などと呼ばれる公的紙幣を拡充し、偽造防止のために多色刷りや透かし、専用紙の採用などを積極的に導入しました(エリック・ブラウン, 2023)。
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大都(現在の北京)に専門の工房を設置し、官僚組織が発行量や流通経路を厳格にコントロールする体制を整えたことで、高額取引や遠隔地決済がさらに円滑化します。もし元朝統治下の13世紀末に中国へ足を踏み入れたヨーロッパ人なら、金属貨幣しか知らない故国から見れば“紙の貨幣が公に通用している”ことは驚き以外の何ものでもなかったでしょう。イタリア商人マルコ・ポーロはその経験を克明に記録し、ヨーロッパ社会に紙幣の可能性を大いに伝えました(ジョン・スミス, 2018)。
しかし、14世紀に入ると、モンゴル帝国の継承国家たる元朝も戦費と公共事業の増大を賄うために大量の紙幣を発行し、地方官僚の腐敗や乱造が重なってインフレが深刻化します。民衆の不満が爆発して1351年に紅巾の乱が起こると、1368年には朱元璋が明を建国して元は追放され、全土での支配権を失いました。王朝による一元的管理に依存していた紙幣は、その権力が崩れるとともに急激に信用を失い、歴史の舞台から姿を消していきます。こうして、中国の紙幣制度は、王朝の命運と貨幣価値が表裏一体であることを改めて示す形となったのです。
中央集権が創る貨幣の“一体感”とその脆さ
ここまで見てきたように、中国の貨幣史は紀元前11世紀頃の貝貨から始まり、春秋戦国で花開く多様な金属貨幣を経て、秦・漢の全国統一貨幣体制へと急速に収束し、唐〜宋〜元の時代に世界に先駆けた大規模な公的紙幣へと至るという、一大叙事詩を織りなしています。宗教・呪術的な装飾品だった貝殻が、やがて軍事と商業を支える金属貨幣へと変容し、それすらも「全国統一貨幣」という形で一元化され、最後には印刷技術や遠隔地決済のニーズに応える形で“紙”に素材を変えたわけです。
この壮大な流れには、いくつかの特徴が浮かび上がります。
第一に、王朝による大規模統合の欲求が、貨幣標準化を強力に推し進めた点です。戦国期の乱立状況が逆に“いずれ誰かが統一したら、貨幣も統一したほうが便利である”という潜在的な要望を醸成し、秦の半両銭が生まれたことは象徴的といえます。
第二に、いったん標準化が成功すると、大規模公共事業や軍事征服のための財源を国庫に集約しやすくなり、広域支配が加速度的に進むケースが多いこと。漢の五銖銭や唐の銅銭運用はその代表例で、安定した貨幣を背景にシルクロードや海上貿易が開かれました。
第三に、紙幣革命は、(1)木版・活版印刷などの技術革新、(2)軍事・商業の拡大による遠隔決済の需要、(3)秦漢以来の中央集権官僚機構という“三位一体”が合わさって初めて成し遂げられたという点に注目すべきでしょう。唐の飛銭から宋の交子、元の中統交鈔に至るまで、これらの要素が合致したときに革新的な紙幣運用が可能となりました。
第四に、国家権力の崩壊とともに紙幣の信用が一挙に瓦解するリスクが、史上何度も証明されています。秦や元の短命ぶりを振り返ると、いかに統一貨幣制度が“諸刃の剣”であるかがよくわかります。
こうした中国の歴史は、前章で紹介したギリシアの都市国家モデルとは対極のベクトルをもちながら、貨幣が社会に果たす役割を多角的に見せつけてくれます。分権と両替商が力を発揮したギリシアに対し、中国は統一と官僚機構が主体となる貨幣運営を選択し、その成否が王朝の盛衰を左右してきました。いわば、“強力な中央集権”か“地域分散型の通貨運用”かという対比が、古代から現代に至るまでの金融史を象徴する二大潮流でもあるのです。
中国に訪れたマルコ・ポーロの報告を通じて、中国の紙幣制度がヨーロッパに知られるようになったものの、その直接的な影響については限定的であり、ヨーロッパにおける紙幣の発展は主に独自の経済的要因によるものでした。
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紹介した『東方見聞録』を口述した冒険家。
とはいえ、中国の紙幣革命は世界金融史における先駆的な事例として、後世の金融・経済システムの形成に対するインスピレーションを提供したことは間違いないでしょう。
次回はヨーロッパで生まれた「銀行」という金融界の大発明です。
歴史を知れば旅が10倍楽しくなりますよ!