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オードリー若林さん宛のお手紙と私情が混じってしまった行き場のない文章を書きます。
いつも疑いなく頑張り続けることができる人がいます。そんな人はわたしには、羨ましくて、輝いて見えます。
テレビやSNSなどの世界には、そういう人が溢れていて見ていると余計にきつくなることもあります。
でも、そんなテレビやSNSの世界にも時々なんだか勝手にシンパシーを感じられるひとがいます。
『あちこちオードリー』という番組が好きです。
若林さんが、すごくいいのです。
いつもゲストの聞いたことのない一面を引き出して、なおかつご本人がとても楽しそうに見えます。
テレビで、とは全く思っていませんが、わたしもひとに話を聞く仕事をしたいなと、度々思います。
世界には羨ましくて気後れしてしまうような人がたくさんいて、だから社会で生きていくっていうのはけっこう辛い時もあるのだけど、それでもわたしは他人に興味があるし、基本的にはひとがすきなのです。
数年前、所属していた団体で、ひとにインタビューしたり、記事を書いたりしていました。
一時期自分の精神の調子を崩した状態でその活動をしていたある時、インタビュー相手に無意識に「頑張り続けるのって、苦しくないですか?」と聞いてしまったことがあります。
インタビュー相手はスポーツの大きな大会に向けて逆境さえ前向きに捉えて努力を続けている時。当日のインタビュー中もそれを大変だとか辛いという表現は一言も出てこなかった。
そんな相手に、とても失礼な質問でした。
思い返せば、頑張り続けるひとが目の前にいるのに、自分は思うように頑張れない。頭が働かない。身体が動かない。相手の話を聞いての問いではなく、不調である自分自身の状態から不意に出てしまった言葉でした。
一緒にいたスタッフに注意されてハッとしてすぐ謝り、インタビューはそのまま続いたのですが、その時の自分の言葉は今でも忘れられません。ひとに言った言葉だったのに自分にぐっさりと刺さって抜けないです。
当時のわたしは、得意なことがなく、何かに打ち込んでキラキラ真っ直ぐと生きることができないことがコンプレックスでした。
でも唯一、人の話を聞くことはすきだったし、インタビューで相手の本音を聞き出すことだけは褒められたことがありました。
それなのに調子を崩してそれすらできなくなってしまった自分にショックを受けたのかもしれません。
その後すぐインタビュアーは辞めました。
例のインタビューの為だけではないけど、ひとが怖くてうまく話せなくなりました。
そのあとしばらく塞ぎ込んでいる自分が嫌でなんとか出口はないかと探していて、出逢ったのがラジオとお笑いかもしれません。芸人さんのなかで、誰よりも若林さんがすきです。もう最近は名前を聞くだけで、ヒルナンデスに出ているのを少し見かけるだけで、頑張る勇気が湧いてくる存在です(笑)。
若林さんはラジオや本でたびたびネガティブな考えもそれを含んだ上での乗り越え方も年を重ねたからこその諦めもさらしてくれるし、『あちこちオードリー』では「セカンド7番で死んでゆく」という名言を残してくれました。
その姿勢と言葉には何度も何度も救われました。笑えなくなっていたわたしが、オードリーのネタで何度も声を上げて笑えるようになりました。
若林さんを知ることで、その周りのひとのことも知って、素敵だなと思うひとが増えていって、だんだんまたひとが怖くなくなった。
すきなのに怖くて話せない、というのは辛い状態だったので、とても嬉しい。これが自分だなという感覚を少し取り戻せた気がする。
そういう私的な思いも重なって、若林さんのことを勝手に尊敬していて、シンパシーを感じる部分もあり、わたしの進んでいく道はなんとなく彼に似たような立場になるんだろうなと思ってしまいます。
本当に取り留めのない話になってしまいましたが、キラキラとした真っ直ぐ幸せな(にわたしからは見える)ひとが目立つこの世界で、まぶしくてうらやましくてどうしようもなくなってしまうと、自分のことを見失ってしまう。なんだか何もしていないのに負けたような、失敗しているような。
そんな気持ちになっても、今のわたしには"セカンド7番で死んでいく"っていう言葉のお守りがある。
もちろんわたしは芸人ではないし、MCでもラジオのパーソナリティでもないし漫才もやらないけれど…。セカンド7番の人間というのは、若林さんがやっと言葉にしてくれました。
わたし、いていいんだよ。
若林さん、そう思わせてくれてありがとうございます。