境港の読み方、その変遷についての考察(補足-さかえる港のフェリー 隠岐汽船/山陰航路史【VOICEROID解説】)
境には「さかい」と「さかえ」の2通りの読みがある
鳥取県境港市、今回はこの港町を中心に解説動画を作ってみました。
解説動画を名乗っているので、最低限の資料集め、調査はしていました。そのとき航路の歴史とは関係のない内容で悩んでしまったのが、この地名についての話題でした。
1954年以前は「境町」とされているのですが、この「境」の読み方が「さかい」か「さかえ」どちらかという疑問。
前者は一般的な読み方、後者は地元で境港を指すときの読み方のようです。
ぶっちゃけ地元の人しか気にはならないのでは・・・というか地元の人ですらどうでもいい話のような・・・
とはいえ、個人的にはすごく気になります。
きっかけは、境港の方とお話したことでした。
そのとき「さかえに住んでるんだよ」と、そこ境港出身者は仰っていました。ただ、筆者はというと、「境港』=「さかえ」の知識がなかった。どこの話をしているんだ???状態になってしまう。
架空の町「さかえ」はどこかと聞き返す。「境港」だと教えてくれた。けれど、”なぜ”「さかえ」と呼ばれたのか。この経験から沼にハマってしまう。調べ出すと調べ出すで、明快な答えが出てくる・・・というわけではなく、抜け出せなくなっていく。
恐らく地名について、これが正しい地名といった考え方は存在しないだろうし、いくつも存在するのは当然かなと思っている。その時代や属する集団によって変わるもの。言葉と文字記録が不一致は起こるのは当然だと思います。
とはいえ、調査を止める理由にはなりません。
そういう訳で調査内容をまとめ、備忘録程度に書き残しておこうかなと、そう思いました。
1.ネット百科事典
【参考】Wikipediaの記載は「さかえ」
境港について、まず手軽に情報を仕入れるとするなら、やはりwikipediaだろうか。早速Google先生に聞いてみてると、ヒット!3番目の項目に表示されていました。
この記事には「さかえ」に関する記載がありました。
境港市の記事では、合併以前の「境町」、その読み方が「さかえ」であったと記されています。また境町の記事には、「さかえ」であったとも記載されています。
さてWikipediaではその根拠を、アメダスの観測ポイントが「さかえ」であったとしています。
そこで気象庁HPをチェック、実際の観測地名について探してみました。
なんだこりゃたまげたなぁ・・・ばっちり「サカイ」と書かれているじゃないか・・・(困惑)
けれど、確認時点(2022年5月現在)では「サカイ」と記載されているだけで、それ以前に観測地名の変更があった可能性も否定できません。
当然ではありますが、Wikipediaだけでは読み方を裏付けることができませんでした。他の資料にも当たってみようと思います。
2.国立国会図書館デジタルコレクションの資料
今回利用したのは、国立国会図書館デジタルコレクション。インターネットからでも、国内の数多くの出版物が閲覧が可能です。
とはいっても、インターネットで確認できるのは、著作権の保護が切れて公開状態となっている出版物のみです。ただ今回は調査対象が戦前のため、権利切れとなった資料ばかり。幸いにも好都合な対象と言えそうです。
内務省資料(1881)は「さかい」
過去、郡に関する解説動画を作成したときにお世話となった「郡区町村一覧」を確認してみる。この資料は、当時の内政担当省庁たる内務省地理局が作成。全国の郡区町村の一覧をまとめた資料のようです。
この資料によれば、島根縣伯耆国会見郡の欄に「境町(サカヒ)」と記載されている。(175コマ目)
余談、島根縣と表記されているのは、鳥取県消滅バグが原因。鳥取県の範囲を含め島根県とされていた時代の資料であることが読み取れます。
ちなみに、鳥取県が島根県から独立した9月11日は「県民の日」として記念日になっているそうな。
国立国会図書館デジタルコレクションにはまだまだ資料が眠っています。
境町について、読み方の記載された資料を探してみると、3件ほど見つかりました。
大日本市町村名鑑(1893)は「さかえ」
星野文三 編「大日本市町村名鑑」博聞社/明26.11
同じく全国の市町村をまとめている資料。242コマ目に「サカエ」という記載があり、こちらは「さかえ」派であることが読み取れます。
最近検定市町村名鑑は「さかい」→「さかえ」
この資料も先の2冊と同じ名鑑シリーズ。
ただ異なる箇所を挙げるとするなら、この資料は年代ごとに、それぞれ5冊ほど残っている。そのため同じ資料から推移を確認することができます。
今回は、大正6年(1918)と昭和11年(1936)の資料を比較する。
大正7年の資料によると、200コマに境町の記述があり、境町(サカヒ)と読まれている。
この資料は「い」派なのか・・・そう結論づけたいところだが昭和11年を確認してみる。
昭和11年版によれば、287コマ目に境町の記述があり、こちらは「サカヱ」と読まれている。
今回は11年版であったが、昭和7年資料については、画像をブログに載せていないが、読み方は「サカヱ」となっていました。
大正7年から昭和7年、この14年間にこの出版社は「ヒ」から「ヱ」へと表記を変更したことが伺えます。
この間に何があったし。
さらに、デジタルアーカイブでインターネット公開の「最近検定市町村名鑑」を全て確認。一覧にすると、このようになった。
大正7年(1918) サカヒ
昭和7年(1932) サカヱ
昭和11年(1936) サカヱ
昭和16年(1941) サカヱ
昭和18年(1943) サカヱ
因伯人情と風俗(1926)は「さかい」
横山敬次郎書店「因伯人情と風俗」因伯史話会 編(大正15)
22コマ目付近の記載によると、「境(サカヒ)の巻」となっており、「さかい」派の資料であることが読み取れます。
3.書籍
角川日本地名大辞典は「さかえ」
書籍からは、
角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典31 鳥取県』角川書店(1982)
こちらは地名の由来について調査したときに重宝した資料。
地名と、地理、歴史の研究者、郷土史家がタッグを組み編纂した地名辞典。その地名の由来から歴史については勿論、それ以外の情報も充実している印象でした。
さて、境港について引いてみたところ、「さかいみなと 境港」と「さかえ 境」のような記載があります。
「さかえ 境」の項目には、中世から昭和29年の自治体名として境町までに至るまでの経緯が記されています。
市町村名変遷系統図総覧は「さかい」
東洋書林『幕末以降 市町村名変遷系統図総覧2』東洋書林(1995)
幕末以降に存在した町村から現在の市町村となるまでの変遷を樹形図でまとめた資料。自治体の家系図とも言えそうな資料です。
こちらを確認したところ、明治3年に境(サカヒ)村が町制施行で境町に、明治29年は境町(サカヒ)、昭和29年に境港町(サカイミナト)となったと記されています。
停車場変遷大事典-鉄道駅名は「さかい」
駅名についてはどうか。
現在はJR境線の境港駅、「停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ」によれば、明治35年(1902)11月1日開業当時は「 境(さかい)」旧仮名遣いは「サカヒ」と表記されていたようです。その後、大正8年(1919)7月1日に 境港(さかいみなと)旧仮名遣いは「さかいみなと」へと改名されている。
駅名については、一貫して「い」派であるようです。
4.その他
鳥取県立博物館 展示パネルは「さかえ」
たまたま鳥取市に行く用事があったため、鳥取県立博物館を訪れた。
さまざまな展示がある中、近現代のコーナーには山陰線の説明パネルがありました。境について確認してみたところ、「境(さかえ)」と記されていました。
地域研究の拠点と言える県立博物館で、「さかえ」表記となっているのは、何か意義がありそう。
日本本州北西岸伯耆境港(海図)は「さかい」
地図のなかでも、いわゆる海図というジャンルです。港湾の水深や海底地形をポイントごとに測量、記録しています。
明治28年(1895)作成で、この資料によれば「境港 SAKAI HARBOUR」と表記されており、「さかい」派であることが明らかです。
ただこの境は、港湾を指す場合の境港(さかいこう)であることから、地名や自治体名としての「境」とは若干ニュアンスが異なることに注意を払う必要があるように思います。
5.まとめ
結論から言えば、「さかえ」派が優勢のような印象を受けた。
ただ、「さかい」派についても1881年の「郡区町村一覧」が「サカヒ」である点や、鉄道駅は一貫して「サカヒ」である点も見逃すことが出来ない。
ここから少し考察してみたい。
元々は地元の人々の間で使われていた言葉や地名、方言としての「さかえ」。それを口語筆記した資料は伝統的な「え」の表記を選択したのではないかと、筆者は考えている。
一方で、内務省資料や鉄道駅名に代表される、地元以外の地域から、境という漢字を見る。そのときは一般的に用いられる「さかい」が想定される。「さかえ」という表現がローカルな発音であるから、全国でも通じる「さかい」の表記となったのではないだろうか。
要は、外向けの読み方としての「さかい」ではないかと考えています。
でも、結局のところよく分からなかったので、動画では一般的に話されている「さかい」で統一しました。
詳しい人、教えてください。