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自然写真家・ヤマセミ・カワセミの水中撮影・・餌付けについて(その2)

餌付けについて・・僕の考え方

ヤマセミ・カワムツを捕食
カワセミ・カワムツを捕食

「餌付けしている」のではなく、「餌付けさせられている」

上の2点は、僕が20代後半に、川の浅瀬に作った池で撮影した作品です。
僕は餌付けについて「餌付けをしている」のではなく「餌付けをさせられている」と考えています。
人が他の生き物より上にいると過信している人たちは「餌付けしている」と、思っているかもしれませんが、生き物はとてもしたたかで、人は頼まれてもいないのに「餌付けをさせている」と、僕は考えています。
野鳥に限らず、動物たちに、人懐こい顔で見つめられると、人は餌をあげたくなります。これは生き物の戦略に、人がまんまと引っ掛かっているのです。
それが証拠に、餌付けされたハクチョウなども春になれば、さっさと北へ帰って行きますし、六甲に住むイノシシたちも、芦屋の高級住宅地に住む人たちがメロンを持ってきたりしていても、ドングリが豊富になる秋には山に帰ってしまうそうです。
僕も、ヤマセミやカワセミに操られ、彼らに会いたくて、せっせと魚捕りをさせられたわけです。
そんな彼らも、魚が水中の落ち葉の下に潜り込む冬から、子育てにたくさんの魚が必要な初夏までは、池の魚を利用しますが、夏になり魚影がしっかり見える季節になると、池には、目もくれなくなります。
結局、僕が彼らに利用されただけなのです。
どうせ利用されるなら、きっちり写真を撮らせてもらわなければ、割りが合いません。
ですから、しっかりと、慎重に、丁寧に、根気よく、彼らと向い合うことになるのです。

餌付けの良し悪しは、その人が決めればよい

野生の生き物に餌を与えることについて、様々な意見があるでしょうが、そこに「正解」はないと思っています。餌を与えないことが生き物への愛情だという人もあれば、生き物と触れ合うことが愛情だという人もいるでしょう。
これは、「自然保護」という言葉と同じように、シカの食害に合う高山植物群があるとしたら、そこに人が手を加えて植物を守ることが自然保護なのか、人が全く手を入れず、そのままにしておくことが自然保護なのかといった「正解」のない課題が、いつもついて回ります。
自分の目の前にある被写体は、自分にとって、とても大切な存在です。
その大切な被写体の気分を損ねないよう、そして、撮る側の自分も、気持ちよく被写体に向い合えるよう、各自の判断で、良し悪しを決めればよいと思います。

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