人生記録
最近ずっと自分のルーツについて考えていて、些細なものから自分の根本になるようなものまで 何が関わってたかできるだけ思い出して書いてみようとおもう
幼少期
私の母方の両親はカトリックの家系で、
幼稚園は白百合幼稚園に通わせてもらっていた。
おばあちゃんは教会のオルガン奏者で、学校では音楽の先生でもあった。
おじいちゃんはロン毛で演劇をやる人だった。
毎週日曜はミサに行っていたから、教会が大好きだった。クラシックがずっと流れている家だった。
プリキュアはホワイトが好きだった。
幼稚園の卒園式はホワイトの衣装で出た。
小学生になる頃にはブラックが好きになっていて、多分三年生で黒執事、ひぐらし、ローゼンメイデンに触れてしまったあたりからだったと思う。
ジャンプを読み始めたのもその頃で、ToLOVEるを隠れながら読んで性癖が壊れ
SKETDANCEが笑いの根本になった。
いぬまるだしっをその頃から読んでいたせいで若干下ネタに触れすぎる。
しばらくしてからめだかボックスを読み、詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。を読み、好みが独立される
ドラクエやラブベリのカードゲームにハマりまくり週末はゲーセンに入り浸り、大会に出ては多分今ならわかるけれど低気圧や低血圧に体がやられ、朝はほぼ毎日具合が悪かった。
発達障害だったのは多分チャレンジ一年生のテキストを一年分溜めて1日もやらなかったとこらへんから。エレクトーンのレッスンでは何も練習して行けず毎週怒られる。
うごくメモ帳を見漁り、Spicaでボカロを知ることになる ボカロ厨の完成
パパがノルベサでやってた雪ミクに連れてってくれたのが2013年オタクでも許される家庭だって知った
小学五年生頃にはもう邦ロックが大好きなキッズになっていて、同時に金爆にハマりバンギャに足を踏み入れる。
10年くらいジャズダンスを習っていた。何も今は踊れない エレクトーンとピアノは小さい頃からずっと習っていたので雪まつりでDon't say lazyを弾くことになる めちゃくちゃ間違えた
中学生
インターネットに手を染め始める。
R指定に人生を破壊され、完全にバンギャへ。
同時に性的な作品を摂取しすぎて初めて同人誌を買ったのもこの頃(黒執事R18小説)
朝読書ではグロ小説や、ラノベ、ロキノンを学校で読んでいた。
Twitterはこの様子
家ではずっとスペースシャワーTVが流れていて、お母さんはSlipknotとマリリンマンソンを聴きながらハンバーグを作っていた。
音響がやたら良い設備の家庭だったので、耳が育ちまくっていた
この頃からお父さんが週末、ブックオフに車で三箇所くらい毎週連れて行ってドライブをしてくれていて、百円の本を死ぬほど買うようになる。CDの収集癖もついていた
お母さんはいつも私が学校に行かないと喫茶店に連れ出してくれて、雑貨屋さんを一緒に見て回ったり、とにかくいろんなところに連れて行ってくれた。私が喫茶店が大好きなのは、お母さんのおかげ
邦ロック全盛期だったこともあり、学校の放送部で好きなバンドをたくさん流して、歌い手にハマってたのもこの頃。赤飯が大好きだった
中学二年生になって運命のバンギャと出会い、重症化。DOGinThePWOの歌詞を書きノートを声に出して廊下で読んでいた 最悪
V系のインストに参加したのもこのころから
Amebaなう全盛期。
麺からのペタを待ちながらなうで呟きまくり、ブログを読み漁る。
シンデレラペタのために寝不足になる。
Amebaなうで彼女ができる。
美術部にはボカロ厨がいたのでニコニコを見たり、歌い手のイベントに行ったりもしていた。
ここら辺でゆめかわいい(笑)にハマり、カメラロールがそういう画像まみれになる。
同時にコドメンと出会う。でんぱ組にハマってたのもこの頃
指定男子の彼氏ができる、人生めちゃくちゃ。
ドラゲナイが流行っていた頃で、ドラゲナイを流しながら初体験を終えそうになり最悪
高校生
運命の人だと思ってた人に逃げられて病みまくる
週一ヴィレヴァン、月3でライブ。
V系のインストに行けば入待ち出待ちをして、偶然を装い逆狙い待ち。
覚えられたと察したらたぬきで繋がり募集をかけて、連絡先を交換して満足していた。
狙いギャの完成である。
映画をたくさん見始めたのもこのころだった。
お母さんが異常にアングラ理解のある人で助かった。濡れ場を死ぬほど親の横で見た
大森靖子を聞いて人生が変わる
お母さんが戸川純が大好きなナゴムギャルだったことを知らされる 遺伝とは恐ろしいものだ
もうサブカル女が出来上がりすぎて三周目くらいの面構えになっていた。家が本屋と化す。
リョナラーになる。ここらへんからエロゲの知識が深まって今に至る。
バンギャよりもライブキッズに寄りすぎて邦ロック界隈でハチャメチャ。大阪の男を札幌に引っ越させて人生を狂わせて殺されかける。ヒモを飼いながらスープカレー屋でバイト、ライブに行って、家ではツイキャスをしていた たまにアイドルの現場に行ってだけれど、ギリギリこの頃はおとなしく見てたね
写真部の女の子と仲良くなってライブにたくさん一緒に行っていた。チケットにガチだてたのもこのころが一番だったかもしれない。
私にもマイヘアの最前で大泣きしてた頃があったんだよ
この頃にはもう完全に鬱になっていて、病院には行けなかったからTwitterで死んでやるとばかりツイートしていた。DVではなかったけれど、毎日殴られまくって、首を絞められすぎて毎日顔面が内出血だらけだった。身体中痣だらけで学校に行っていた
芸術界隈に足を突っ込んだのもここら辺で、写真を展示に出してもらったり、ギャラリーに行きまくったりしていた
高校生の頃に摂取したものが多すぎて書ききれない。ビレッジマンズストアに出会ったのはこの頃。
バズマザーズ、ハヌマーン、今聴いているようなバンドたちはこの頃もう好きになっている
専門学生
DV 人生の終わり 健康の終わり 思想の終わり 殴られることが怖くなくなって暴力を受けても笑うようになった
元彼の病気が多すぎて精神病のハッピーセット。
ODされた時の対処法、薬の種類、症状の対処法。
メンヘラや病気との対話方法を学ぶ。
警察を呼ぶとどうなるかも知った
障害者手帳の取り方や使い方も実践で学ぶことになる
同時に女の子のメンケアをしまくっていたことでメンヘラ救急隊のように泣いてる女の子がいれば会いに行くようになる
ちなみにですが、私はリストカットもODもやったことありません やる気も無いし死ぬ方法は首吊りか好きな人に殺されるかしか無いです
生まれつき家庭環境が良かったことで自分の体を大切にという思想はあるのですが、自己肯定感というものがカスたちの手によって奪われたので、自衛ができないってだけです
この頃はしだれちゃんに恋をしまくっていた頃なのでつれづればかり聞いていたなあ、笹口やうみのて、ハサミを聴き始めたのはここら辺だった。
専門学校は半年くらいで即辞めて、テレアポで働いて契約社員になっていた。当時の彼氏が私の目の前でなければどこでも浮気をするので人から離れること自体が怖くなっていて、今でも苦しめられている不安感や不信感、自己肯定感の喪失、何かをされて傷ついたら同じだけ相手を傷つけなければ気が済まない、私の性格に繋がってしまっている
その後の彼氏にも、精神薬のことを死ぬほど学ぶことになり、パニック障害だったり、どんな治療か一番良いのかとか今に繋がることをマジで死ぬほど学ばせてもらった、頭が上がらない
20歳になって気がついたら正社員になっていた。
遠征を初めてしたのもここら辺。
人生の恩師ができる。今私が健康に生きてるのはこの人のおかげ、俺を正社員にしてくれてありがとうございます
就職してからのことはほぼコンカフェや現インターネットなので、みんなが見ていた私がこの頃です。
喪失の一年が私にはあって、2021年の記憶が半分ありません CRYAMYのHAVENで何度死ぬのを堪えたかわからない
人生で一番楽しかったバンドのライブは、2020年のIMPACTらへんです アイドル部門はそりゃあもう第一回NoMapsです。
一年に一回は人生を振り返らないと前に進めないので、今年も終わりに近づいていることがわかりやすいね
次は映画ごとに書けたらいいですね
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