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客観性は無くていい。

こんばんは。

久しぶりのトレーニングで筋肉痛を堪能する、たからです。

さて、今日はコミュニケーションについてのお話。

主観的に話をしていいよ。という話。

例えば、理学療法の業界では

〇〇リリースとか○○メソッドとか○○療法とか

たくさんあります。

その上で、それぞれに客観的な評価や研究がされてたりします。

「これが凄く効果があるよ。」

「いや、こっちの方が良いよ」

とぶつかることもあります。

患者さんを良くしたい!!というゴールは同じで、

手段が違うだけですが、ぶつかることがあります。

あれは宗教だ、主観的で客観性に欠けている、間違っている。

いや、それぞれの分野で研究がされていたり、

教科書が出ていたり、するのであれば客観性もあったりする。

つまり、どちらも客観性がある事実

その客観性の中で議論したところで、理解し合えない

客観的な物だということをベースに会話すると

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結局、自分に合っていると思ったもの

自分が信じたいものを選んでいるんだから

どちらも主観的

それで良いでしょう。

「自分は、これが凄く良い方法だと思っています。

ただ、これは自分の経験と主観的な物でもあり、

他の方法もきっと効果があると思います。

貴方の意見も教えてください。」



夫婦・恋人関係でも

相手のために仕事を頑張る男性と

2人の時間を大切にしたい女性と

どちらも二人の関係をより良くしたい

客観的事実でもあり、

主観的な意見でもある。


「僕の個人的な意見になっちゃうけど、

僕は、お金をしっかり稼いで、記念日に美味しいご飯と

旅行に行きたいと思って、頑張っているんだ。

それが、君の負担になっているのであれば、

君の意見も聞かせてくれないか?」


「私は、旅行も大事だけど、日々の生活で

2人の時間も大切にしたいの」


じゃあ、仕事も大事にしながら、

一緒に居る時間を作る方法を

考えようか。


ポイントは、前置きをすること


「自分の個人的な意見・主観的な意見になっちゃうんだけど・・・」


客観的に正しい意見として、話をしてしまうから

意見を聞いてもらえなかったり、反感を買ってしまう。

だいたいてか、ほとんど主観だろう。

だって人間だもの。


いつも有り難うございます。


【参考】

daigoさんの話は勉強になるのでお勧めです。


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